【鎌倉殿通信・最終回】遺志を継ぐ者たち
源頼朝亡き後、武家政権を維持・発展させた北条政子・義時姉弟も、貞応三年(1224)に義時、翌年に政子が相次いで亡くなります。
義時の長男である泰時は、承久の乱後、京都で戦後処理にあたっていたため、父の死に目には会えませんでした。ときに42歳。以後、執権として幕政を主導しますが、継母にあたる伊賀の方が三浦義村と協力して実子の政村を執権に据えようと画策するなど、その前途は多難なものでした。
近年発見された藤原定家の日記『明月記』によれば、危篤状態の政子に対し泰時が何度も「あな