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3年後に「オトナ帝国の逆襲」をリメイクしてほしい

「クレヨンしんちゃん」の物語では、野原ひろしは35歳、野原しんのすけは5歳という設定になっている。

つまり、今から3年後の2024年。野原ひろしは平成生まれになり、しんちゃんも令和生まれに変わる。


ここだ。ここしかないんだ。

『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』をリメイクするなら、このタイミングしかない。


<あらすじ>
ある日、春日部で突然「20世紀博」というテーマパークが開催された。昔のテレビ番組や映画、暮らしなどを再現し、懐かしい世界にひたれる遊園地に大人たちは大喜び。
でも、しんのすけをはじめとする子供たちには、ちっとも面白くない。毎日のように夢中になって遊びに行く大人たち…。そのうちにひろしは会社に行かなくなり、みさえは家事をやめ、しんのすけがひまわりの面倒をみる始末。
実はこれは、“ケンちゃんチャコちゃん”をリーダーとするグループの、大人だけの楽しい世界を作って時間を止めてしまう、恐るべき“オトナ”帝国化計画だった!
(CDジャーナル データベースより引用)

オトナ帝国の逆襲といえば、映画クレヨンしんちゃんのシリーズ中でも随一の傑作だ。

昭和の世界観に囚われて子供返りしてしまった大人たちの描写は、当時の子供達に言い知れぬ恐怖を与え、大人たちには涙涙のノスタルジイを与えた。

2001年公開ということもあり、20世紀(親世代)から21世紀(子供世代)の過渡期をいく日本人にジャストミートする作品だったのではないかと思う。


あれから20年以上経ち、クレヨンしんちゃんのキャラクターたちの世代が移った今。昭和の匂いに囚われるひろしはもう実状に合わない

今や親世代も平成っ子なのだから、ひろしが昭和レトロを回顧するのはズレがあるのだ。「月の石が見たい」と駄々をこねるな。お前はポケモンのつきのいししか知らないはずだろ。

オトナ帝国の骨子の部分は、未来を捨ててノスタルジイに生きようとする親世代と、未来を生きている子供世代の相克であり、それでもなお未来を選び取ろうとする葛藤と希望である。

ということは、これ。別に昭和レトロじゃなくても成立するんじゃないだろうか。

この際、オトナ帝国を平成バージョンにアップデートしたらどうなるだろう。

「昔はよかった」と愚痴る大人がいる限り、何度だって再生産できるプロットなのだから、昭和を平成に入れ替えても物語の大部分は成り立つように思う。


例えば、だけど、カスカベの街が徐々にオトナ帝国に侵されていく象徴的なシーンにテレビの描写がある。

白黒のテレビにレトロな番組が流されて、大人たちはそれに夢中になる。その一方で子供たちは何が面白いのか分からず置いてけぼりになるのだ。

当時このシーンを見たとき、理解のできない世界観に取り込まれる大人の描写が子供心に空恐ろしく感じたのを覚えている。

ノスタルジイとホラーが同居する物凄いシーンだけど、これって、白黒テレビをブラウン管にそっと入れ替えれば成立するんじゃないか。野原家の食卓に液晶テレビが導入されて久しいのだから、今のしんちゃんはブラウン管のテレビを見たことがないはずだ。

ひろしとみさえが「懐かしいな〜!」といいながら、ブラウン管のテレビを撫でてたらしんちゃんもうろたえると思う。スタイリッシュな液晶画面を片付けて、鈍重な骨董品を重宝する親の姿はとても異様に映るだろう。

黒い画面に緑の文字で「ビデオ」と表示される様を見てはしゃいだり、ブラウン管の上に旅行の土産物を嬉々としておいたりするのかな。大人世代はウンウンとうなづく描写になるけど、子供たちにとっては全く理解のできない気色の悪いシーンに映ると思う。「久しぶりに見たわ〜!」といいながらテレビの砂嵐をニコニコ眺めてたりしたらめちゃくちゃ怖いだろうな。

原作では、テレビには古き良きプロレスの映像が流れたりするけど、ここもJリーグとかに変わってていいんじゃないかしら。あとは大人世代のバラエティ番組とか流そうよ。めちゃイケの数取団とかさ。

暴走族に扮した芸人らが罰ゲームと称してリンチにあう様子を見たら、しんちゃんは「なんて暴力的な番組だ…」とヒイたりするんだろうか。

でもって、ひろしは「こういうのがなくなったから今のテレビはつまんないんだよ。昔のバラエティはよかったな〜!」とか言うんだろう。その横でみさえがヘぇ〜ボタンとか連打しててみ? ばかくそ怖いよ。ひまわりの情操教育に致命的な影響を及ぼすこと請け合いだ。


街に出ると、子ども返りしてしまった大人たちが平成レトロの世界観に溺れる光景が広がっている。大人であることを放棄した大人たちが溢れかえっているのだ。

ひろしは双葉商事の同僚と公園に居座って、通信ケーブルで繋いだゲームボーイでポケモン対戦してる(ケンタロス・スターミー・フリーザーあたりを使ってる)し、みさえは風間くんのお母さんたちと一緒にガラケーを片手に過積載のストラップをじゃらつかせて浜崎あゆみの着メロを流してる。

街ではだんごの兄弟を歌う童謡が大ヒットしてるし、多摩川にはあざらしが出没するし、屋上から大声で同級生に告白してるやつもいるだろう。ペ・ヨンジュンだって来日してるぞ。

そのうち、オトナ帝国の使者が大人たちを連れ去りにやってくる。ひろしたちはオレンジレンジを大音量で流すラブワゴンに嬉々として乗り込み、子供たちを捨てオトナ帝国へと向かうのだ。

ここからは、オトナ帝国に洗脳されひろしたちとしんちゃんたちの攻防が始まるが、これはきっと原作よりも苛烈な戦いになるだろう。なんせ、大人たちは「子供たちを捕らえた奴には褒美にこれをやる」とたまごっちをちらつかされているのだ。

規制前のエアガンとか持ってるし、プラズマダッシュモーターの四駆で追いかけてくる。平成のガキどもは野放図なテクノロジーの恩恵を受けた世代だ。ふたば幼稚園のバス程度じゃ到底逃げ切れまい。副流煙でいぶされて育った俺たちを舐めるな。


原作のオトナ帝国で大人たちを魅了するのは、1970年に開催された大阪万博を模した世界観だ。21世紀に大きな希望を持っていたあの頃に回帰しようとする強力な磁場でひろしたちを虜にする。

これが平成バージョンになると、さすがに万博では影響力がないだろう。愛・地球とかもあったけど、子供たちを捨ててまで思いこがれるような存在感ではなかったし。

あの頃の大阪万博にとって替わるような、平成世代の大人たちが残らず夢中になる場所、平成を象徴する世界観といえばなんだろうか。


フジテレビかな。

『楽しくなければテレビじゃないじゃ〜ん!!』とか言ってた頃のフジテレビは子供心にカリスマ性があったように思うし、あの謎の球体を見に行きたいと思ってた平成っ子は多いはずだ。

何事もきっかけはフジテレビなのだから、オトナ帝国の枢軸たりえる存在感だと思う。


もしくは、おはスタかな。

みんな、山ちゃんとレイモンドに会いたかったもんね。怪人ゾナーとかもいるし。

知らない人のために説明すると、怪人ゾナーとはなぞなぞの定向進化を遂げた松陰寺 太勇だ。ほっぺに?マークをつけたビジュアル系のルックスだったけど、よく考えたら怪人ゾナーといいイマクニ?といい、あの頃のおはスタは疑問符に可能性を見出しすぎじゃないだろうか。

おはスタじゃなければ、天才テレビくんかもしれん。「てれび戦士になれる」って言われたら平成っ子はなんでもするんだから。



う〜ん。

どれもオトナ帝国の万博に匹敵するような存在とは言えないな。正直、フジテレビ的な平成の世界に戻りたいかって言われたら全然だし、そもそもクレヨンしんちゃんはテレ朝だし。

そう思うと、オトナ帝国の枢軸"20世紀博"の説得力って凄かったんだな。世界征服を企む悪人って今まで何人も見てきたけど、征服後のビジョンを魅力的にプレゼンできた奴っていなかったもんね。


僕らには「大阪万博」のようなオトナ帝国の象徴たりえる存在がない。そう思うとなんだか寂しくなってきた。

みんなだったらどうする? 平成版オトナ帝国を作るとしたら、そのシンボルは何にする?



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