10を3で割った後の1は自由

10を3で割ると1余る。
畑で野菜を作り、家族で食べる分以上は余る。
クラスでペアを作っていると、最後1人余る。

小さい頃、兄と兄の友達と遊んでもらっていた時、
"豆"という役割があった。
鬼ごっこをしていて、鬼にタッチされても鬼にならない。
歳の離れた子も一緒に遊ぶための措置、"豆"。
子供でなくなった今では、少し切なくも、愛情を感じる。

余りはこの"豆"と似ている。
余りを作ることで、全体が調和し、
余りは全体の構成要素ではあるものの、余りなので、自由に振る舞える。

余暇時間、余剰生産物。
余りが出ると"足りている"ことを感じられる。
なんて重要なことなんだろうと思う。

余暇時間、余剰生産物を将来への投資に回す。
今では当たり前に行われている行為。
余りが出ないことが是とされていると、
足りていることを実感しずらい。
リソースの自由な選択を取りづらい。
今の世の中、"余ってるものある"と聞くと"そんなものない"とか、強いて言うならば"脂肪"とかうまいこと言われる。参っちゃうね。

10を3で割った後の1は自由。
無理に割り切れるまでやってるとそれに終始しちゃう。
余りとして棚に上げて、
ゲームでも決めたらいいじゃんと思う。
足りていることに感謝して。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?