人生最後のカニとエンジニアリングの話

カニを通販の商品として扱っていたことがある。ズワイガニの一級品で、一匹安くとも1万円以上、高いものであれば2万3万はする、というシロモノだ。

嗜好品でなおかつ縁起物なので「正月に食べたい」「家族が集まる時に食べたい」という要望が多く、注文の大半は年末年始に集中する。

その頃、所属していた会社が創業30、40年ぐらいだったので、昔からの常連もいて、ご年配だったりした。

すると「今年も注文をお願いします。山田太郎で登録されていると思いますが、太郎は先日、亡くなりましたので宛名を変更して、、、」という話も当然舞い込んでくる。
当時、「お悔やみを申し上げます」と返していたけれど、この返しが合っていたのかどうかは、いまだに分からない。(大家族の末っ子なので、冠婚葬祭に疎い)

ただ、「私が顔も知らない山田太郎さんが最後に食べたカニは、うちのカニだった」と認識した。美味しく食べてもらえただろうか、食べやすかっただろうか、悪いものが届いていたりしないだろうか、と考えたりもした。

また「今度、母が病院から退院してくるので、カニを注文させてください。たぶん、最後になるので」といった注文もあった。クロネコヤマトに配送を依頼したあと、指定日時に届いたかどうかブラウザで確認したりした。

もちろん良い話ばかりではなく、失敗することもあった。雪の日に「家族仲良く食べようと待ってたのにまだ届かない!」と苦情を言われることもあった。

雪で遅れる可能性があることも、注意して到着希望日を指定してほしいことも伝えていた。でも、結果として他人の家庭の団らんを台無しにしたのは私なのだ。現地の天候や事情を確認すれば済む話を確認しなかったのは私だ。「人がいない」を理由にやらなかったのは私だ。

「もし、その人にとって人生最後のハレの席に、私のカニが届かなかったら」と考えると、恐ろしくなった。「人生最後に何食べたい?」という話があるけれど、「メンゴメンゴ、届かなかったわ」と言われて死ぬことになったら目も当てられない。私なら化けてでも文句を言う。

もちろん、そこまで考えるような話ではないのかもしれない。でも、考えたかったのだ。「その人が人生最後のハレの席に選んだのは、私のカニだ」ということを誇りにしたかった。

誇りにしたかったので、深く考えることをやめずに、どうすればミスが防げるか考えた。努力や根性では限界がある。私だって眠い時もあるし(いつだって眠い)、書き間違えることもある。

だから、そのために、ミスを絶対発生させないように、誰かがミスしても取り返せるように、業務フローから見直して設計し直した。個人で気をつけるのではなく、会社としてミスを発生させにくい仕組みを作った。

これが、たぶん、私が初めて作ったシステムだ。

今日、某社でのカジュアル面談で、当時の話をしていて思い出したので、書き出してみた。

エンジニアリングとは、目標を達成するために仕組みを作ることだと思っている。クライアントの言いなりでホイホイ作ればよいものではないし、言いなりにしたがるクライアントとは距離を置いた方がよい。できる範囲で。

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