フィクションのキャラクターは在る

自分は小説を書いたことがあり、漫画やアニメも人並み以上に好きなほうだ。んで記事を読んでタイトルのようなことを思ったので書く。

結論としては二点。
・キャラクターは唯一無二。
・キャラクターのオリジナルは自分の中に存在している。

フィクションのキャラクターは、当然だけど、フィクションなので脚本があります。脚本があるなら、キャラクターデザイン(設定作成)があります。この2つは、テキスト、映像、ゲーム問わず、ストーリーがあれば必要なものです。

んで、小説や漫画だと一人で考えることもありますが、アニメやゲームの場合は、個人作品でもない限り、複数人で考えます。みんなでよってたかって「この人物はどういうやつなんだ?」ということを話し合って決めます。

人物設定と脚本ができれば、それに沿って、声優さんが演じたり、アニメ原画が描かれたり、環境音やBGMがついたりします。このへんは作品の媒体によります。それらもすべて「この人物ならどういうふうになるだろうか」と考えながら作られていきます。

そうやって多くの人の手を介して、キャラクターが作られて、テレビやゲームでお客さんの目の前に出てくるわけです。

裏を返せば、今、目の前に出てきたキャラクターは、このメンバーでなければありえなかったキャラクターです。原画担当が違えば絵が変わりますし、音の担当が違えば雰囲気が変わります。

そして、人間だれしも「全く同じものは作れない」ので、同じメンバーで作っても、その時の判断というのは、繰り返しができません。「前回はそうだったかもしれないが、今回は違うように思った」となることが大半です。

つまり、キャラクターは唯一無二のものです。二度と同じキャラは作れません。

そして、キャラクターは、当然ですが声優だけのものではありません。じゃあ誰のものなのか、といえば「作った人と見た人」みんなのものです。

東京ディズニーランドで子どもが大好きなはずのミッキーマウスを見て「怖い」と怯えることがあります。テレビで見るサイズより大きいので、違和感があるのだと思います。だとすると『東京ディズニーランドのミッキーマウス』は、泣く子どもにとっては『自分のミッキーマウス』ではないのです。

私にも好きな作品と好きなキャラクターがいますが、ファンの集いには、あまり馴染めません。

なぜなら、私の好きなキャラクターと、その人の好きなキャラクターは、同姓同名で同じ容姿で生年月日から経歴に至るまで、全く同じかもしれないけれど、私にとっては違うキャラクターだからです。

私の好きなキャラクターは私の中にいます。これは演じた人が何をしようと、脚本家がTwitterで暴言はいていようと覆せないことだと思ってます。

以上、ちょっと過激派オタおじさんが思ったことでした。

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