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諏訪大社、伊勢神宮が中央構造線の上にある謎についての「縄文古道説」


中央構造線の真上に諏訪大社、伊勢神宮など、歴史のある有名な神社が鎮座しているという話はずいぶん前からあって、古代史マニアのあいだでは、半ば常識化していると思います。

ただ、「なぜ、中央構造線に有名な神社があるのか」という問題については、諸説紛々としています。①パワースポット説②地震(断層活動)を鎮めるため──というふたつの説が有名ですが、私が支持したいのは③縄文古道説とでも呼ぶべき「第三の説」です。

中央構造線は、縄文時代の人びとが行き交うメインロードだった。古道に沿って集落が出現し、やがて村や町となり、そこにある聖地が全国的な信仰圏をもつに神社になった。それが諏訪大社であり、伊勢神宮である。

「縄文古道説」はそんな古代史のストーリーを想定する説です。

中央構造線が縄文時代からの道でもあることは、地質学方面の文献ではよくとりあげられ、先に放映されたNHKの『ブラタモリ』の話題のひとつでした。中央構造線に歴史のある有名な神社が多いことも、『ブラタモリ』のなかでタモリさんが、さりげなく言及していました。何のフォローもない言いっ放しの発言だったのが残念でしたが。

中央構造線と神社についての議論において、「縄文古道説」こそ、大本命であることをここで力説してみようと思います。


中央構造線の上にある神社

中央構造線とは、長野県の諏訪地方を起点とすると、愛知県三河地方、三重県伊勢地方を経て、紀伊半島をほぼ東西に貫通、四国から九州に至るとされる巨大な断層(大地の亀裂)です。
白亜紀(1億4500万年前~6600万年前)に生じた亀裂が現在の中央構造線の起源ですから、日本列島がまだ「島」になる前の、アジア大陸の一部であったころの出来事です。

中央構造線に沿って鎮座すると話題にあがっている神社は、東から数えると、鹿島神宮、諏訪大社、伊勢神宮、日前神宮・國懸神宮、石鎚神社などです。

中央構造線の真上とまでは言えないけれど、近接している神社ということで、大神神社、宇佐八幡宮、阿蘇神社などがリストアップされることもあります。
神社ではありませんが、仏教系稲荷信仰の中心である豊川稲荷も、中央構造線の真上に近い場所にあります。

もうすこし正確に言えば、諏訪大社を構成する四社のうち、上社前宮が中央構造線の真上に位置しています。伊勢神宮では、外宮の境内を中央構造線が貫通しています。

鹿島神宮は中央構造線がらみの話題の常連ですが、関東平野における中央構造線は、地形のうえでははっきりと見えないので、やや微妙な位置づけです。
九州についても、中央構造線の場所は不明瞭なので、同様の問題があります。

中央構造線地図

私、蒲池明弘が書いた『聖地の条件──神社のはじまりと日本列島10万年史』(双葉社)166ページに掲載の地図。


ところで、中央構造線については、「地学」の授業で出てきますが、名称が有名なわりには、今ひとつ実体がつかみにくい存在です。

グーグルマップをカスタマイズして、中央構造線を描いた研究者がいて、そのマップが公開されています。

1メートル単位の厳密さまでは持っていないものの、最新の研究成果を盛り込んだ地図であるそうです。

「中央構造線マップ」と検索すれば、すぐに見つかるはずです。諏訪大社の上社前宮、伊勢神宮の外宮が中央構造線の真上に鎮座することをリアルに知ることができます。



神社によって地震を封印するという説

中央構造線とは、巨大な断層です。断層は大地の亀裂に生じた上下あるいは左右のズレですが、そのズレは繰り返し動く性質があります。断層の動きが地震の原因のひとつです。いわゆる活断層型の地震です。

中央構造線は全長1000キロメートルを超え、日本列島で最大の活断層帯であるともいわれています。

中央構造線に歴史のある神社が多いのは、活断層の動きを封じ、地震を起きないようにするための地質学的な祭祀(封印?)である──という説が出てくるのはこうした「活断層としての中央構造線」に着目した説です。

地震を鎮める神として有名なタケミカヅチを祭神とする鹿島神宮が中央構造線の上にあるらしい──という情報が、この説の根拠です。でも、関東平野における中央構造線の場所は見えにくいという大きな問題があります。

実際に地震が起きたとき、震源地はどこで、どの断層が動いたことが原因ということは、気象庁の発表がなければ、私たちには見当がつきません。

活断層が動いて地震が起きるというメカニズムを、多くの国民が知ることになったのは、神戸淡路大震災(1995年)以降のことです。活断層型地震の典型だったからです。

古代の人たちは、地震が起きたとき、原因となる活断層はもとより、震源地という発想も持ち得なかったはずです。

さらにいえば、中央構造線は日本列島で最大の断層であるとはいえ、その全区間が近い将来に地震の発生が懸念される活断層というわけではありません。
地震が警戒されているのは、中央構造線のうち、近畿地方、四国の一部だけで、鹿島神宮のある関東の中央構造線では、人類の歴史と重なる年代に、地震が起きたことはなく、今後、あと何十世紀のあいだ、その心配もないようなのです。

したがって、常識的に考えれば、地震封じのための神社という説は、現実の歴史のうえでは想定しがたいことです。

しかし、古代人に私たちにも想像もできない超常的な感知能力があったと仮定すれば、地震の震源地を見極め、活断層に由来する地下構造が見えていた──ということもありえない話ではありません。可能性としてはうんと小さいですが。

中央構造線はパワースポットなのか?

中央構造線と神社をめぐる話題はオカルト的な要素が色濃く、逆に言えば、大学に属するアカデミズムの研究者が敬遠している(あるいは関心がない?)問題であるといえます。

中央構造線に位置するパワースポットとして有名なのは、長野県伊那市の分杭峠で、ここは「ゼロ磁場」という特殊な場所だという説があります。

残念ながら私は「ゼロ磁場」のほうは不勉強ですので、詳しいことを知りたい方は、日本サイ科学会2代目会長にして、電気通信大学教授をされていた佐々木茂美氏の著書『「見えないもの」を科学する』をご覧ください。
観光地化しているので、ネット上にも多くの情報があります。

日本サイ科学会とは、超常現象を科学的に研究する人たちの団体で、初代会長は、知る人ぞ知る関英男博士。そういえば、関氏も電気通信大学の教授でした。今考えてみると奇妙なことですが、昭和時代の一部の研究者は、テレパシーなど超常現象を物理的な通信技術の理論を拡張して解明しようとしていたようです。

1970年代、私が中学生、高校生だったころ、学研の『中1コース』『中2コース』など、学年別の学習雑誌をほかの友だちと同じように購読していましたが、宇宙人とか超能力、怪奇現象などの話題を載せたオカルト的なページがあって、関英男氏の名前はそこで見ていた記憶があります。

(『中1コース』『中2コース』など学研の学年別雑誌のなかのオカルトページの担当者が、その後、雑誌『ムー』をはじめたという話を聞いたことがあります。本当なのでしょうか? 未確認情報です)

当時の中学生(といっても主に男子)のあいだには、超能力は実在するかしないかという真剣な論争があって、関教授は実在論における有力な証拠になっていました。
偉い大学教授が研究しているのだから、超能力はリアルな現象に違いない──という論法です。

それからすこしあとには、ソニーの超能力研究所が、超常現象実在論の証拠とされる時代がありました。超能力は未来的なテクノロジーとして、期待されていたらしいのです。もちろん、ごく一部でのことでしょうが。

電気通信大学、ソニーにおける超常現象および超能力研究は、ともに尻すぼみになったようで、今では話題にする人も少なくなってしまいました。

同世代の多くと同じように、私もオカルト分野への関心はすっかり低調になっていたのですが、最近、中央構造線について調べているうちに、そちら方面の人脈に触れて、中央構造線をめぐる議論のオカルト的な偏りを改めて認識したのでした。

関英男氏は、専門の通信工学では学界の権威だったらしく、大学生向けの教科書や「岩波新書」でその分野の本も書いておられますが、驚くべきことに、NHK出版、角川書店から超常現象関係の本を出しています。

1971年、NHK出版から刊行された『情報科学と五次元世界』において、関氏は死後の世界との通信について、その可能性を検討しています。死後の世界とは、きわめて微細な、未知の素粒子(「幽子」と仮称されている)で構成されている「幽子情報系」であるという仮説を提示し、その世界との通信は技術的に可能であるというのです。

「幽子情報系には、過去・現在・未来にわたる四次元の情報が蓄積されている。これを電子情報系に移すことができれば、われわれの目でみ、耳できくことができるわけである。ちょうど、暗視やレントゲンのように、波長変換が必要になる。」(『情報科学と五次元世界』)

『情報科学と五次元世界』を簡単に要約すれば、「霊界通信」についての技術的な展望を、既存の通信・情報技術との比較などによって解説している本です。

学術書ではありませんが、引用文献はきちんと記しているし、筆致はいたって冷静で真摯な印象です。NHK出版らしい、啓蒙書めいた印象ですが、「霊界通信」がメインテーマというところが異色です。

1970年代の昭和期は現在よりも、超能力とか超常現象に、世の中全体が寛容だったのでしょうか。それとも、科学的なアプローチで、超常現象が解明されるという見通しを少なからぬ当時の日本人は共有していたのでしょうか。

その後、情報通信技術は飛躍的に進歩しますが、残念ながら、霊界通信の分野で、画期的なブレイクスルーが実現したという話は聞きません。
関博士のアプローチはまちがっていたのでしょうか。
それとも、一連の著作や発言は、きまじめな日本人を煙に巻く、壮大な科学的ジョークだったのでしょうか。
謎は残ります。


オカルトなしでも説明が可能な断層にまつわる不思議な現象

話は大幅にそれてしまいましたが、神秘体験と言ったり、パワースポットと呼んだり、言葉はさまざまであるとしても、中央構造線にそうした言説がつきまとっているということを申し上げていました。

それをどう解釈するかはさておき、さまざまな不思議な体験談があることは、私も聞いています。

ただ、そうしたことは、超常現象や界にまつわるオカルト的な理論を持ち出さなくても、断層地形に特有の地質的な現象として、解釈できるのではないかと私は考えています。

断層活動(地震)が起きるたびに、岩盤と岩盤の接合面は摩擦や圧力によって、もろくなってゆくので、断層のラインは、ほかの地点にくらべて、すき間だらけの地盤になっている傾向があります。

断層の深い裂け目を通して、お湯が噴出すれば温泉であり、化学成分をふくんだガスが漏れ来れば断層ガスと呼ばれます。

古代ギリシャの時代、政治や軍事にかかわる神託を出していたことで有名なデルフォイの神殿では、活断層から漏れ来る気体によって、神憑りとなった巫女が、神の言葉を告げていたことが確実視されています。

神殿の真下に、活断層(デルフォイ断層)があって、そこから、エタン、エチレンなど石油化学成分に似たガスが出ていたことが、地質学や化学の研究者らによって確かめられたからです。

日本は非常に断層の多い地域であり、断層ではありませんが、火山の噴火によって生じた亀裂も少なからず存在します。

日本国内のパワースポット、神霊スポットなどが、そうした断層や大地の亀裂に特有の気体や液体の現象に関係している可能性はあると思います。

「縄文古道」としての中央構造線

さて、本題である「古道としての中央構造線」についてです。

断層が動き、地震が起きると、断層の亀裂を境界線として、片方は持ち上がり、片方はずり下がるという動きが生じることがあります。一回の地震で生じる上下のズレが数メートルであったとしても、それが何千万年、何億年もくりかえされるうちに、片方は山地となり、もう片方は細長い谷間となります。

断層地形は、長大な直線的地形(リニアメント)をつくる傾向があります。断層の直線地形は、最短距離であり、谷筋を歩けば、のぼりくだりも少なく、方向感覚を失うこともありません。
その谷筋に沿って、人びとは移動をくりかえしたので、そこは道となりました。

諏訪地方を起点としていえば、中央構造線は信州の人たちが秋葉神社(静岡県浜松市)に向かう「秋葉街道」でした。火事を防ぐ神さまとして知られています。

中央構造線は、海のない信州に塩をはじめとする太平洋側の産物を運ぶ「塩の道」でもあり、完全には一致していませんが、現在の国道152号に継承されています。

活断層によって形成された直線地形が、歴史ある街道となっている事例は、ほかにいくつもあります。

長野県でいえば、諏訪盆地から南に走る伊那谷断層帯、琵琶湖の西岸の花折断層、京都方面から真言宗の総本山である高野山の参詣に向かう高野街道などがその典型です。

「道の歴史」というと、ケモノ道を人間も通るようになって道ができたとか、人間が踏み固めた跡がいつとはなしに道になったなどと説明されることがあります。しかし、中央構造線に由来する道がしめしているとおり、人間が日本列島に住みはじめるよりもはるかな過去から、道の原形は完成していました。

日本列島は世界でも有数の活断層の密集地であり、私たちは地震の発生を絶えず警戒しながら暮らしています。

地震は百害あって一利なしの「絶対悪」のように思われていますが、ふたつの構造線に沿った天然の道は、地震(断層活動)にも、恵みの一面があることを教えてくれます。

直線的な断層地形に沿って、道ができ、村や町が生まれ、人びとが行き交う──。それははるかな過去からつづく、日本列島の原風景です。そうした歴史のどこかで出現した聖地が、神社として成立し、私たちの時代に引き継がれています。

中央構造線に沿って、歴史ある有名な神社が多いという謎は、中央構造線が、縄文時代の人たちも行き交った日本列島最古の「縄文古道」であることに由来すると考えてみました。

関東平野の中央構造線は隠れて見えないので、地形としての中央構造線、すなわち、「古道」としての中央構造線のスタート地点は諏訪地方です。諏訪は、北海道を除けば、全国最大の黒曜石産地であり、その運搬、交易のメインルートが中央構造線でした。

中央構造線は三重県では、伊勢神宮外宮の境内を貫通していますが、伊勢地方は、朱の鉱物である辰砂(水銀の原料にもなるので水銀朱ともいう)の国内最大級の産地だったところです。

伊勢地方の辰砂は、縄文時代から朱色の塗料として珍重されており、長野県、関東、東北にまで運ばれていたという説もあります(『三重県史』)。中央構造線が重要な交易ルートであったことは言うまでもないことです。

中央構造線の露頭

伊勢地方の辰砂鉱山ちかくにある中央構造線の露頭(三重県多気町)


諏訪地方の黒曜石は4万年近く前の旧石器時代から、朱の鉱物は縄文時代から、中央構造線をメインルートとして、全国的な流通圏をもっていました。
そうした古代的な豊かさの記憶が、諏訪大社、伊勢神宮のはじまりと無縁であるとは思えないのです。


諏訪大社上社前宮は中央構造線と糸魚川静岡構造線の交点に鎮座する

諏訪大社、伊勢神宮の知名度が高いこともあって、断層と神社の関係では、中央構造線ばかりに話題が集中しがちですが、実はほかの断層でも同じような話題があります。

〇奈良盆地で最古の神社とされ、初期ヤマト王権の歴史にもかかわる大神(おおみわ)神社は、奈良盆地東縁断層帯の上に鎮座している。

〇出雲大社の境内の参道とほぼ直角に交差するように、大社衝上断層という断層が走っている。

〇翡翠の女神ヌナカワヒメを祭神とする奴奈川神社(天津神社)は、糸魚川静岡構造線からごく近い場所に鎮座する。

こうした事例がいくつかあるなかで、私が最も注目しているのは、諏訪大社上社前宮は中央構造線と糸魚川静岡構造線の交点に鎮座しているという事実です。

ネット上には、「中央構造線マップ」と同じようなスタイルで、「糸魚川静岡構造線マップ」も公開されているので、ふたつのマップによって、確認していただけると思います。


実は、古代ギリシャのデルフォイの神殿の地下でも、ふたつの断層が交差していることが判明しています。

断層の交点に位置するということによって、諏訪大社上社前宮とデルフォイの神殿は共通点をもっているのです。

諏訪大社を構成する四社のうち、上社前宮は最も古いと伝わっており、それゆえに「前宮」と呼ばれているとも信じられています。すなわち、諏訪信仰の発祥の地であるということです。

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諏訪大社上社前宮の拝殿と清流のそばの御柱


ふたつの巨大な断層のことなど、絶対に知らなかったはずの古代の人たちは、なぜ、そこに神殿を設けたのでしょうか。

パワースポットという言葉を使うかどうかは別として、現代の科学のデータだけでは把握できない何かが断層地帯にはあって、それが神社の起源にむすびついているのは間違いないと私は思っています。

それって、「ゼロ磁場」みたいな未知の現象なのでしょうか? いろいろ書き連ねてはみましたが、結局は謎のままです。

私も心情的にはパワースポット論に惹かれているので、「第三の説」の看板を掲げてはみたものの、実際のところは、①パワースポット説を補強したという程度であるのかもしれません。

とういうような話を、『聖地の条件──神社のはじまりと日本列島10万年史』(双葉社)という本に書いてみました。

ここに書き記したことは、新刊本の宣伝のための文章と言われればそのとおりですが、このネット記事だけで、まとまった内容になるように、再構成したうえで、本とはすこし違ったアングルから書いてみました。

書籍は出版社の商品でもあるので、何でもかんでも書きたいことを書いていいはずはありません。書籍には載せにくいオカルトな話題も、この場で書かせていただきました。

という次第で、書籍の『聖地の条件──神社のはじまりと日本列島10万年史』では、関英男博士のことも、「ゼロ磁場」のこともまったく触れていません。

そちら方面に関心のある人には申し訳ないのですが、このネット記事と書籍とは、別の作品ということでご了解ねがいます。


【主な参考文献】
黒曜石の交易ルートとしての中央構造線については、考古学者藤森栄一の『古道』に、「ヒスイと黒曜石の道」という一文がある。

縄文時代の辰砂(水銀朱)については、『三重県史』(通史編・原始古代)に詳しい解説がある。

デルフォイの神殿と活断層については、『日経サイエンス』二〇〇四年一月号に、アメリカの科学雑誌に掲載された研究グループの連名記事が翻訳で紹介されている。同誌別冊の書籍『古代文明の輝き』にも所収。


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