空っぽコーディネーター

 飲み会やら食事会以外の交流や出会いの場って無いのかなぁ。
 仕事でも趣味の活動でもサークルでもどんな活動でも、懇親会や飲み会がざっくばらんなコミュニケーションの場として指定されていて、生きづらさしか感じない、、彼女とか言う前に、人間の集団に入れない、、諦めたいけど、諦めてもやることないので諦めもつかない。
 色んな人間とゆっくりコミュニケーションをとることは大切だし、ましてや普段仕事とかしか関わらない間柄なら、その人を知る機会を持つことは確かに良いなと思うけど。集団に対する根源的な恐怖感情がいつも勝るのだ。
 やっぱり、独り籠もって研究や勉強でもしていた方が気が楽だよなあ。でも、独りだと考えも深まらず広がらず、ひたすら大曽根でプロジェクトやら論文やら報告書を拵えていくか、増え続ける仕事をこなすくらいの人生か。つまらないけど、そうでなきゃ生きていてやることも無いから仕方ないのかなあと思ったり。

 結局、どちらに行っても苦しいか退屈なだけだよなあとよく思う。
 問題を解決しても、訪れるのは退屈だけ。
 生きていて楽しいことって、何なんだろうってずっと疑問に思っています。
 どうせどっちへ行っても同じなら、世の為人の為に身を削っている方が、少しはマシかなあと思っている。教員のくせに、それくらいのモチベーションしかないんですよね。
 キャリア教育も、大学時代にある人が推したから研究に選んだ、というのが実際で、特に思い入れもないんです。新しいし、理解されなくて苦しむのも良いかなと思って。
 人から理解されないなんて当たり前。寧ろ、理解されることの方が稀有なことだし、そもそも一緒に生きる人には理解していて欲しいと思うのは、無理な話かも。理解が何を指すのかもよくわからないけど、ただ壁があることだけはいつも感じる。自分が人でなしだからだろうと、よく思います。
 きっと、もっと必死に手を伸ばしたり、必死に生きたりすべきなんだろうな。だけど、もうそういうの、疲れたんですよね。

 自分のことを考えても、何もない。
 だから、人の人生に奔走していれば良い。
 そうしたら、少しは人の気持ちとか、人生の動の部分に触れられるんじゃないかなって。
 だから、コーディネーターを選びました。
 
 今までが苦し過ぎて。
 幸せが何なのか、正直完全に見失っているので、とにかく人の面倒を見て自分を忘れようとしています。

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