かまぼこ型倉庫のルーツをたどる

ほくほく線編

 陽一が最近、夏の家族旅行計画をする密かなる目的は、かつて自分が工事に関わったトンネル付近を車で旅行をすることだ。仕事柄転勤も多くいままで住んだことがある場所に行って、「ここに飯場があった」だの「ここの酒屋でツケで買ったな」などと記憶をたぐるのが面白いのだが、女房や子どもにすこぶる評判が悪い。それもそのはず、多くのトンネル付近は、どこも山の中で、いわゆるレジャーとしての楽しみは薄いからだ。そして今年、車が向かった先は、ほくほく線工事のため二年間を過ごした、鍋立山トンネルのある松代町だ。

 そのころは自分のことを「土塊職人ですから」と、少々謙虚めいて言ってはいたが、大きな誇りをもっていた。なぜなら、世界的難工事の一つと言われたこの鍋立山トンネルの工事に関われたからだ。

 この工事は実に二十年近くの年月がかかった。特に難工事となった七百メートルの区間は、特殊な土質で作業員を悩ませた。空気に触れると土が膨張し、何十メートルも手前に押し戻されてしまうのだ。土留めの鉄板や機械がオモチャのようにグニャグニャに曲がり、何度も作業員を危険にさらした。過去に例を見ない現象に工事技術も追いつかず、一日平均二十センチメートルしか進まない壮絶な現場であった。

 電車も通り街並も変わった今、松代を訪れて車の中から最初に目に付いたのは、あちらこちらにかまぼこ型の倉庫が建っていることだ。ここでトンネルを掘っている当時、他の作業員と使用済みの支保工を使っていくつかこのような倉庫を建てたことがあった。誰のアイディアだったのか思い出せないが、豪雪地帯であるこの地では、頑丈で最高の形態ではないかと感じつつ作ったことを思い出す。それが二十年後にここまで町中の至る所に普及していることに驚きを覚えた。

 当時、よく漬け物や果物の差し入れをしてくれた地元の老人がいた。彼の話によると、戦前から鉄道を通す計画はあり、子どもの頃から楽しみに待っていたということだ。

 自分と同じように多くの人が待ちわびていること、中には着工にこぎつけるのに尽力を注いだ知り合いもいたという。「オレが生きているうちにぜひお願いします」と言って帰っていったことがあった。あの時の老人は今でも元気なのだろうか?開通の時には立ち会えたのだろうか。

 町の変化は、倉庫だけではない。あちらこちらに不思議なものがあった。なんでも【大地の芸術祭】とかいうイベントがはじまったとかで、よく分からないが「作品」と呼ばれるものをあちらこちらに見つけることができたことだ。はからずも、私たち家族は好奇心をくすぐる作品探しの時間を共有できた。三年後にも芸術祭がこの地域であるということだが、私たちはまたこの町を訪れるだろう。ほんの数年過ごしただけの小さな町だが、また何か動き出しそうな確かな胎動を感じるからだ。

 車の窓を開けた。ヒグラシの鳴き声と、少し涼しい空気が入ってきた。秋の匂いがした。