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「私はあなたについて何も知らない」ことが愛かもしれない。

私とあなたは違うし、あなたと明日のあなたは違う。だからいつもあなたをきちんと見て、私の中に決まったあなたをつくらないように気をつける。私の中には、あなたの形ではなくて、あなたという存在そのもの、僕はこれを魂のようなものだと思っているんだけど、それを置いておく。

時折まちがえることがある。私はあなたのことが好きだから、あなたとたくさんの時間を共有してきたから、あなたのことはなんでも知っている。そしてあなたのことをもっと知りたい。そんな気持ちを愛だと思いそうになることがある。でも違うと思う。愛は、ただそこにあるものだ。桜井さんが言ってた。

僕が高校生のころ、数学の先生が恋と愛について語っていた。虚数iとは関係のないタイミングで語り始めたから、たぶんただ話したかったんだと思う。曰く、「恋は奪うもの、愛は惜しみなく与えるもの」だそうだ。どうしたM先生。突然、M先生の過去が気になり始めたけど、いまだに謎のままだ。

愛は与えるもの。しかも、惜しみなくだ。惜しみなくということはもう垂れ流しだ。日常茶飯事なのだ。ところで数学のS先生は茶飯事を絶対に「ちゃめしごと」と言っていた。ゆずらなかった。茶碗で飯を食うくらい日常的に与えるものが、愛なのだ。それはつまり、常にそう在る、ということだと思う。

知りたいとか、知っていると思うとか、それは相手の自由だったり、思考だったり、尊厳だったりを奪うことなのかもしれない。僕らは、あなたについて、なにひとつ知ることはない。かろうじて知ることができるのは過去の事実だが、これはすでにあなたの外にあるものだ。今のあなたをつくるものではあるけど、今のあなたではない。

今のあなたについて、私は何も知らないし、知り得ない。判断保留。それでも、あなたの魂というか、存在そのものをただ受け入れたい。だから僕は、スパゲティの味は何がいいか、毎回たずねる。いつもと同じように「クリーム」と答えが来て、僕が「白いの、赤いの?」と聞いて、「白いの」と答える。このやりとりが、私とあなたの間になくてはならないのだ。

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