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サーワン月と水浴シーン

サーワン月は、ヒンドゥーの暦で要するに雨季、モンスーンのことです。日本で雨の多い季節と言うと、梅雨とか台風で暗くてジメジメしていてビショビショになって洗濯物が乾かない憂鬱な季節ですが、サーワン月は、少なくとも詩的な文脈の中では、好ましい季節として表現されます。太陽がギラギラと容赦なく照りつける酷暑が長く続いた後に降り注ぐ雨は、大地を潤し、人々の生活と心に涼を呼びます。孔雀は雨の中で喜びのダンスを始めます(生物学的事実は別として)。

2023年のサーワン月は、7月10日から始まりということで、ちょうどその時期にデリーに1週間ほど滞在して初めて雨季を経験しました。
…正直、詩的な心地になる余裕はなく、ゲリラ豪雨とぬかるんだ道との戦いでした。水溜まりの中で大はしゃぎする子どもたちは、いくぶん見かけましたが。

日本の梅雨はどちらかと言うと1日じゅう雨の日が何日も続きますが(九州での体感)、デリーでは、午前は晴れまたは曇り、午後から豪雨、という様子でした。日によっては午後も晴れのことがあったので、想像したほどには雨がふる時間は多くない。今年は洪水状態になった地域もあったようだけれど、あれは雨量の問題ではなく、人災だ。くるぶしより上まで水で溢れた道路を仕方なくジャブジャブと歩いていると、ふと急に水がはけることがあります。どうやら、道路の僅かな勾配の問題で、坂道ではないのに道路に高低があり、水はけの良い場所と悪い場所ができている。また、ダム放流に耐えられず、下流で冠水する場所もあった。治水…。山と川と海に囲まれた日本の先人達がご苦労されたであろう治水技術に改めて尊敬と感謝の念を感じました。

そんなデリーでビショビショになりながら感じたことの一つ。インドの方々は、衣服ごと体が水に濡れることに、我々日本人に比べて抵抗がないのでは?

日本人は、特に東京の方々は、まだ雨が降ってなくても、天気予報で雨、と出るだけでいそいそとレインブーツを履き、折りたたみ傘を持ち歩きます。多少の小雨でも、コンビニでビニール傘を買ってさっと広げます。
一方、デリーでは、かなりの大降りでも傘をさしている人は半数いるかどうか。傘を買うのは無駄金だと考えているのか、濡れることが平気なのか。おそらく両方なのかな、と想像します。
日本では、夏場に衣服が濡れると、ムシムシとして、悪臭を放つし皮膚疾患(水虫とかね)も起こしかねない。夏以外の時期に濡れると、体が冷えて風邪をひいてしまう。なので、本当に水濡れは忌避されます。しかしデリーであれば、モンスーンといえどそのうち雨が止めば、濡れた衣服は自然と乾燥する。衣服の布地もとても薄くて乾きやすい。モンスーン以外で、寒い時期には、基本的に雨は降らない。そしてみると、衣服が濡れるということは大した問題ではないのかもしれません。

そうしてみると、ボリウッド映画でよく見る「サリー姿の美女が水でびしょ濡れ」のあのシーンは、日本人的には「うわ…。いくらお色気シーンの代替とはいえ、あんな不快なことさせられるなんて…ないわー」とうっすら感じますが、もしかするとインドの観客の感性では、「水浴び! 冷たくて気持ちよさそう!」と捉えられているのかもしれないですね。

他国の言語や文化を学ぶにあたっては、決してその地へ赴くことだけが必須ではなく、国内の先達の文献等でしっかり学べる、と考えています。が、私のような不勉強な人間は、時々現地で体感を叩き込むことも必要だな…と感じたサーワン月でした。





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