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人とリテラシーについて

“2020年代の未来予想図”について考える。
一見大それたテーマに思えるが、私はこの10年で何か大きな技術が生まれ世界が一変するとは思わない。なぜなら過去10年、20年を遡って考えても確かに便利にはなったが、昔から読んでたSF小説や漫画、映画に思い描いていた世界とは”違う”からだ。ただ、違うといっても目覚ましい発展の”方向性が違う”という意味だ。

時代には時々起こる大きな革新のタイミングとその間の力を蓄える期間の2種類があると感じる。陸上競技が好きなので、それで例えてみるならば走り幅跳びの助走と跳躍。今はこの助走(革新への力を蓄える)の時代だと思うのだ。

話を現実に戻すと、近年も様々な技術が開発、発達しているが、その中でも目覚ましいのが新たな情報発信のツール・メディアの出現である。

日本において言えば、古くから情報の伝承は口伝や書物に書き記されていたが、よりリアルタイムに大多数への情報拡散の手段として江戸時代には瓦版があった。これが近代でいうところの新聞となり、無線技術の発達によりラジオ、テレビが普及し、20世紀の終わりにコンピュータによるインターネットが出現したことによりもう世界の情報は一つに繋がったような気がしていた。そして、ここ10年ほどでインターネットを活用した SNS がつぶやきやファッション、動画と様々な情報の形態に特化して、新たなメディアとして出現したのだ。しかし、近年のインターネット、SNS のもたらしたものにはこれまでのメディアと大きく異なる点があった。それは発信者になるハードルが大きく下がったということだ。特に若者の間でインターネットでの情報伝達が中心になりつつあることにより、アイデアの発信や発見が非常にし易くなった以上に、それらを活かすために必要な知識の習得に難を抱えていると感じる。

以下にインターネットとアナログな媒体(主に本)の性質についてまとめてみる。

インターネット
・短時間で大量の情報を目にすることができる
・興味のある分野に関する情報を見つけやすい
・発信者の敷居が低いため、新たなものや個性的なものを知るきっかけになる・情報の被りが多い(基礎的な内容のものが多く存在し、高度なもの、先進的なもの、新しいものは少なく見つけにくいというピラミッド的な構造)
・一定数(自分たちが想像している以上に)誤りが含まれている

アナログ
・内容が上質
・興味と異なる分野を知るきっかけが多い
・同様の知識について様々な表現方法で残されている
・求めている知識の収集に時間を要する
・誤りは少ないが見つけにくい

ここで言いたいことはつまり、どちらのメディアの方が優秀でどちらかにとって変わるものではないということだ。実はこれは最近、私自身が体験したことだ。ある課題についてた悩み次の方針に行き詰まっていた。それまでの私は調べ物や情報の収集は専らインターネットからだった。その中に誤りが多いことは十分承知の上、多くの資料を参考に、比較し、実際に試すことでその中から正しい情報を得られると信じていた。そしてこの時代、最新の情報は勿論、高度な知識もそこから得られると信じて疑わなかった。しかし行き詰まってしまったこの時、ある人の本棚に行き、そこでまさしく求めていた情報に出会い、またある人に本屋へ連れて行かれ、新しい刺激を得たということがあった。最近になってこの両方ともが必要であることを体験したのだ。

他の先進国、発展が目覚ましい国と日本の現状を比較した時、情報発信の環境に大きな違いがある。それは、新たな技術革新、進歩のために最先端の情報、上質な情報の流用、共有に積極的な姿勢と、未だに知識を独占しようとするそれだ。

情報の伝達の真髄は過去の知をどれだけ早く吸収し、新しいものを生み出すことにどれだけ時間を費やせるかだと考える。これまで蓄えられた、もしくは生み出されたばかりの知識をいち早く習得するために、上質な情報を共有、教育ができる環境を作ろうとしているのだ。

この姿勢も勿論見習うべき所だと感じるが、それに加えて情報を使う側の意識、つまりリテラシーを変えていく必要も環境の変化と同じかそれ以上に重要だと思う。この意識というのは具体的に用いる情報収集のメディアが偏ることに弊害を感じ、そしてそれぞれのメディアに先に挙げたものをはじめとした特徴があることを知り、使い分けることである。

はじめの陸上の例えに戻ると、助走といってもいくつか段階がある。初めはうまくリズムを刻み、徐々に加速し、最後踏み切りの直前に前に進む力を跳躍に伝える。近年のメディアの出現はまさにこの中の加速であり、そしてあと宙高く跳び上がるためにはリテラシーを身につけこの情報の加速を活用し技術の革新という跳躍に向けるステップが必要となる。リテラシーの意味を再確認し、水準を高め、質の高い情報共有を活用出来るようになったとき、子供の頃に夢見た SF の世界はすぐまで来ていることを確かな感触と共に感じられるだろう。


本来であれば、ここに区切りが一区切り付けたいところだが、ここまではあくまでもこれまでの時代の流れについての観察から得た考察に過ぎない。もう一つこの未来予想図というテーマについて、私自身が胸をときめかせる夢として語るなら、私は”人”自身が新たなメディアとなる世界を期待している。

実はさっきの本に助けられた話のきっかけにあるのも”人”だ。人に本の存在を再確認させられたのだ。

これまでは人同士が実際に情報を共有するにはその範囲が限られていた。しかし、これこそ近年の SNS をはじめとした通信技術を活用し、一方的な情報の発信ではなく対話を含めた情報の交流が世界規模で行われたら...そう考えると昔 SF 小説を読んで感じた胸の高鳴りに似たものを覚える。

最後に、最近数学検定1級に最年少で合格した子のニュースを見た。このニュース自体も十分素晴らしく、今後に期待を膨らませるものではあるが、その後知ったことに私は震えた。それはその子の学びの中心にあったのは YouTube であり、また今回の合格のニュースをきっかけにその YouTuberと実際に会って話す機会があったそうだ。これだけ聞くといかにも最近らしい話題というだけで終わるのだが、これまでの話を踏まえ、勝手に想像を膨らませる私はその子がそこで話したことをきっかけに新たな学びを得たのは勿論、知識だけでなく”人”と”人”との対話によってモチベーションや期待、想像力といったものが伝わり、生み出されたのではないかと勝手に考える。2020年代はモノではなく人が変わっていけたらと私は思う。

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