思い出したこと。

わたしは、1ヶ月間だったか2ヶ月間だったか有効な、周辺のエリア内をどこまでも乗り継げるチケットを手に入れた。

まず隣町に行ってみた。
観光地である住まいの町より、都会的でビルは高く、それでもそこかしこに混ざる歴史的な煉瓦の建物や人々のくつろぐ広場が、ますますわたしの心を高鳴らせた。
わたしはそのチケットの続く間、授業を終えた午後からでも、1時間ほど列車に揺られるこの隣町には何度も通った。

それからは自宅で授業の予習を終えると、食卓に小さな路線図を拡げて次に行く町を探した。まずは、丸の中に黒丸の記してある、太字の町をどこでも行ってみようと決めた。

何番目に行った町かわからない。そもそもいくつの町に行ったのかも定かではない。
ある週末わたしは路線図の左下にある、少し離れになっているような、名前の長い町に行ってみることにした。その名前の長い町は、このチケットで行ける範囲ではあるらしいが、おそらく路線が違っているのか、環状線のようになっている小さなコミュニティのようで、何かこことは違う場所のような気がした。

まず、ほんとうに、この少し離れた地区が「このチケットで行ける範囲」である確証が実はなかった。そういう意味でも、ちょっとした冒険だった。

このチケットが有効であることを信じ、毎日乗るパン屋さん前の市役所通り駅から路面電車に乗り込んだ。15分程で毎日降りる広場駅に着き、目当ての電車に乗り換えた、のだと思う。このチケットがはたして路面電車のみ有効だったのか、ふつうの列車にも乗れたのか、はっきり覚えていない。

時間も覚えていない。路線図から察するによく行く隣町への風景を左に逸れ、広がる畑や、古びた工場、高架下の若者らしい落書きを不安な目に焼き付けながら、名前の長い駅がアナウンスされるのを待った。
数分停車した途中の駅で、ホームに出たような気もする。線路沿いの家の庭に老人と少女を見た気もする。あれは違う思い出だろうか。

とにかく車窓を過ぎる様々を見送りながら、ついに長い名前の駅が呼ばれ、名前の長い町に降り立った。
降り立ってみて、やはり、何かが違った。ふらっと訪ねてみる場所ではないことが分かった。そこは、生活する場所で、異国の人間が歩き回る場所ではなかった。しかし来てしまったからには、歩き回るしかない。
わたしは昔から、とにかくどこでも歩き回ることに苦はなかった。新しい場所も、単調な実家への帰り道でも、どこでも。

わたしは路線図しか持たなかった。地図はない。とにかく駅を出て大きな道を真っ直ぐ歩き出した。大きな道は、ほんとうにただの大きな道だった。二車線ずつほどの広い車道だ。歩道もしっかりあったが、歩く人は少ない。歩道は背の高い草に遮られて、その向こうに何があるのか見ることもできない。妙な形の自転車とすれ違った。すれ違う人が、わたしを好奇の目で見ないことだけはありがたかった。こんな迷い人が、時々来るのだろうか。それともどんな相手にも無関心な人々なのだろうか。そう思えるほど、そこにはただ広い車道しかなかった。

その頃のわたしは、気を付けていないと水分を摂らない人間だった。自分の水分摂取量がかなり少ないことに気づいたのは、ごく最近のことだ。そんなわたしでも、さすがに喉が渇いた。水分が必要になる事態を考えていないわたしは、ペットボトルなど準備していない。自動販売機もスーパーもありそうにない。
引き返そうか。帰ろうか。
昼過ぎの今からならまだ、目的地を変えられる。このチケットがあればどこにでも行けるのだから。

そう決めかけて見上げた、永遠に車道だけが続きそうな道の先に、ハンバーガーショップの看板が高々と屹立していた。日本にもあるお店だ。でもそれは、まさにいわゆる、砂漠のオアシスだった。テレビで見た、エジプトにもあるらしいその店の映像を思い出した。世界中どこにでもある店の、こんなよく分からない場所にあるこの店舗を目指すのも可笑しかった。やはり店舗名は長いのだろうか。
とにかく、この遠足の第一の目的地はそこに決まった。喉を潤して落ち着けば、何か違うものが見えるかもしれない。

看板はほんとうに高々と立っていて、ほんとうに砂漠のオアシスのように、歩いても歩いても近づかなかった。

この店は、語学学校の近くにもある。わたしは初めて日本以外で見たこの店に浮かれ、学校の初日か翌日には早速入店した。当然まだお店での注文方法など習っていなかったが、欲しいものを指差し、憚られるが英語で「テイクアウト」と言えばよいはずだ。「テイクアウト」が和製英語でないことを願った。

お昼時の店の中は学生で溢れていた。目にかかるほどの前髪をした若い内気そうなお兄さんが対応してくれた。わたしは笑顔でバニラシェイクを指差した。お兄さんが何か言った。思えばわたしは、日本ですらあまりこういう店に慣れていなかったのだ。しまった。焦燥感で心がぞわりとしかけた瞬間、しかしお兄さんは今度は身振りを付けてもう一度はっきりと言った。「グロース オーダー クライン?」。小さい子どもに言うように、両手を広げる仕草と縮める仕草をしてゆっくり「大きい方?小さい方?」と言ってくれた。「クライン、ビッテ!」理解できたことがうれしかった。「ヒア オーダー ミットネーメン」。次の質問は、ヒアから推測できた。「ネーメン…ミット、ネーメン」。持ち帰りは「ミットネーメン」と言うことを知った。
ほんとうはチョコレートシェイクがよかったが、チョコレートシェイクは通常メニューになく、レジの手前に貼り出してあって、指差しができなかったのだった。でも、お兄さんが落ち着いて優しく応対してくれたこと、初めて一人で買えたことがうれしくて、バニラシェイクはとんでもなく素晴らしく美味しいものに思えた。まだ肌寒いドイツの初夏にあっても。

そういうわけでこの店は、わたしにとって知らない仲ではない。あのお兄さんの「グロースオーダークライン」は今でもわたしの心に残っている、やさしい言葉だ。

どうやら蜃気楼ではなかった店の看板はようやく近づいてきて、わたしは大きな横断歩道を渡った。こんなところにどんと構える店は日本での場合と同じように駐車場もやや広かった。
ドアを押し開けた。突然、おそらく徒歩で、こんな車道脇の店舗に現れた日本人を、店員さんはどう思っただろうか。わたしは水分を欲していた。空腹でもあったかもしれない。何を注文したかは覚えていない。とにかく何かを口に入れて、安らぎを感じたかった。何もない帰り道を戻る、エネルギーが必要だった。

あの時のお兄さんとの練習を活かして、滞りなく何かを注文し、エネルギーを得ることに成功した。店員さんは優しくも冷たくもなく、まさにこの町のようで、好奇の目で見られないことだけはありがたく、何事もなく商品を受け取った。
ゆっくり座ってもよかったが、歩くこと自体には苦がなく、どこかで買ったものを飲みながら歩くのは特別に思えて好きだったし、何より帰り道を少しでも早く進まねばならない気がして、わたしは店を出ようとした。

ドアの向こうから、女性が来ていた。もう一人女性と小さな子どもが車から降りてきて、姉妹か、友人の子とハンバーガーを食べに来たのだろうとぼんやり考えた。
手に飲み物を持っているわたしに、彼女は笑顔でドアを開けて、先に出るよう促してくれた。この町で初めて、何か明るいものに触れたことに驚きながら、咄嗟にわたしも笑顔を作って「ダンケ」と返すと、彼女は楽しそうに何か言った。

彼女はわたしのイヤホンを指差していた。「何聞いてるの?あなた日本人?それ日本の歌?興味があるわ、聞かせて!」戸惑うわたしからイヤホンを取り「ふんふん…、オー、いいわね!すてきね、日本の歌!ありがとう!じゃあね!」イヤホンをわたしの手に戻し、陽気に店の中に消えていった。

何が起こったかわからない、わたしはようやく手に入れたエネルギー源を握りしめ、不測の出来事に心の置き場も分からずまま、無意識にかくかくと広い駐車場に歩き出しながら、次には思わずひとりで笑ってしまった。

ああ、びっくりした!こわかった!ヤンキーにからまれたかと思った!どろぼうかと思った!なんだ?あはは!びっくりした!…ああ、変な町。

それからまた、何もない車道脇の歩道を歩き出した。信号を渡ったので来た道と反対側ではあったが、もちろんほとんど同じ景色を、それでも少しの希望を持ちながら、名前の長い駅を目指して、長い道のりをまた進み始めた。

それからまた目的地を変えたのか、おとなしく家路に就いたのか、それも覚えていない。またあの国に行っても、もし近くを通っても、万が一近くに住んだとしても、あの名前の長い町に行くことはもうないだろう。
きっと日本の田舎町のように、車を走らせればどこかには辿り着き、何か楽しい場所があって、彼女と同じ陽気な人たちに出会えるのかもしれない。

でもわたしにとってのあの町には、果てしない車道と蜃気楼のようなハンバーガーショップ、そして突然変異のように現れた陽気な彼女だけが永遠に、広い道の真ん中にぽつんと佇んでいるままなのだ。