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好きだから。

深夜24時前、やっと仕事を終えて、電車に乗り込んだ。
連日の遅くまでの残業に疲れ果てたのか、電車を待つ間、少しフラッとした。

電車に乗る時は大体、本を読んでいる。
偶には寝たり、偶にはこうしてスマホでnoteを書いたりするけれど。

その日は、職場近くの古本屋で買った、「ラマン」という小説を読んでいた。
フランス人作家、マルグリット・デュラスの作品で、映画化もされている。
映画の存在を先に知っていて、「いつか見てみたいな〜」と思っていたら、思わぬ所で原作と出会い嬉しくなって、即購入した。

面白いけれど、語り手がいつの間にか変わっていたりする小説で、読むのになかなか集中力を要する。

その日も、のめり込むようにして読んでいたら、向かいに座っていた男性が立ち上がって、私の方に近づいて来た。

「ヤバい、絶対話しかけられる…。」

本を読むのを中断して少々身構えていると、男性は私の横に腰を下ろした。
スーツを来て、メガネをかけた、30代半ばくらいのサラリーマンだった。マスクをしているから顔は分からないけれど、典型的な「仕事が出来る風サラリーマン」といった身のこなしだった。

私の隣に敢えて座った男性に、周りの人も注目している。
電車内はガラガラだったから、当たり前だ。

男性は、私の隣に座った後、私の方に向き直って、こう言った。

「僕、次の駅で降りるんですけどね。あの、僕、普段あんまり本を読まないんですよ。それで、どうしてそんなに本が読めるんですか?」

どうしてそんなに本が読めるんですか??
とは??

「あの、電車内で、どうしてそんなに本が読めるんですか?」

私が質問の意図をイマイチ理解出来ていない事を察してもう一度聞いてくれたけど、大した説明の足しにはなっていなかった。

取り敢えず、疲れ果てたカサカサの声でこう答える。

「本が…好きだからです。」

我ながら、子供みたいな答えだと思った。

ピーっ。ドアが開く。
次の駅に着いた。タイムオーバー。

男性は「そうですか。」と頭を下げ、私も釣られて頭を下げ、男性は降りて行った。

一体、何だったのだろう。

なぜ、電車でそんなに集中して本が読めるか聞きたかったのか。
それとも、私が本にのめり込む姿が、あまりにも滑稽に映ったのか。

男性が降りてから暫く、本の内容に集中出来なくなった。
あなたのせいで本が読めなくなりました、とさっきのあの人に言ってやりたい。

電車を乗り換えて、やっと落ち着きを取り戻し、また読書を開始した。

後から気付いたのだけれど、この日の夜は、皆既月食だったらしい。

それにしても、本の内容を聞かれなくて良かった。
「中国人青年とフランス人少女の性愛の話です。」と言ったら、きっとあの人は拍子抜けしたと思う。

翌日の夕方から、ちょっぴり体調を崩してしまった。根拠はないけれど、何だかあの人のせいだという気がする。

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