ネガティブケイパビリティと真宗

ネガティブケイパビリティの意味を知ったとき、心の声が「それ、真宗やないかい!」と即座に突っ込んだ。

ネガティブ・ケイパビリティ(Negative capability)とは、対処できない状況に耐え、簡単に答えが出ない事態でも性急に事実の解明や理由を求めず不確実さや懐疑の中にいることができる能力のことだそう。

早く答えを出してスッキリしたいけど白黒つかない、ハッキリしないこのモヤモヤした感じ…

この気持ち…どこかで…はっ!真宗や!

私がお寺に来て真宗のあれこれを色んな人から聞く機会ができ聴聞をするのだが、わかったようなわからないような…で、結局何やったんや?と思うことばかりだった。

坊守会の研修会から帰ってくると住職に「法話はどうやった?」と聞かれる。「どうやったと言われても…お弁当がおいしかった」というのが大概の感想だった。

学校という場所はいかに効率よく答えを出すかということを求め続けられる側面があり、また社会に出てもネットで検索すればすぐに答えが出る環境が当たり前にある現代。私はこの「答えが無い」「問い続ける」というあり方に大いに戸惑った。

なんてイライラするんや…もう嫌や…投げ出してしまいたい…聴聞をしてわかったようなわからないような問いをモヤモヤと考え続けるのは、なかなかのストレスだった。

ある時坊守会で東北のお寺の坊守の方と出会う機会があった。その方は私よりもずっと先輩の坊守の方で、私はこのわからない気持ちを吐露した。
「真宗の教えや法話を聞いても何にもわからんのです。掴み所が無いというか、答えが無いことに戸惑いがあって。」と。

その方は「真宗は毛穴から」とおっしゃった。わからなくても繰り返し聞くことで、毛穴から入ってくるみたいに少しずつジワジワと効いてくるから、とアドバイスを下さった。
私はなんて気の長い話だ…とめまいがしそうになったけれど、そのときから「わからない自分」を自然に受け入れられるようになった。

上手く行かない、すぐ解決しない課題に日々直面する子育てというライフイベントに立ち向かうとき、真宗≒ネガティブケイパビリティの力は大いによい方向に働いたと思っている。

今すぐ解決しようとしない。考え続ける。この子たちがより良く育っていくために必要なものやことは何だろうか…
子と親であってもひとりの人として付き合っていくために自分がどうあるべきか…

戦争は今日今すぐにでも終わればいいけれど、そうはいかない現実のなかで私たちができることは何か…

問い続け、考え続ける。そんな力が今試されているのかもしれない。

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