過去の自分

とても大きな大きな宝物を見つけた。

始まりは、漠然とただ「気になる」人が居た。
何がどう気になるのか全くわからなかった。
突き詰めていっても中身が何も見えなかった。
ただすれ違っただけの間接的な関わりで、相手の事はなにも知らない。
直接探っていく内に、私の中に潜めていた大きな要素をその相手も持っている事を知る。
それを切っ掛けに、こちらから直接連絡を取った。直接本人に、自分の中にあった要素を表現する術を教えてくれた事への感謝と、同じ要素を持つ人が自分以外にも居た事の喜びを伝えた。

漠然とただ気になっていたのは、そこへ辿り着く為だったんだと思った。
けど、まだ気になり続けていた。
その後もちょくちょく連絡を取って話したり、一緒にゲームをしたりした。
そして、その度にその人が嫌いになっていった(笑)。
最初から、その人に対して好きだと思える要素が一つも感じられなくて、だからこそ何故そんなに気になるのかがわからなかったのだが...
関われば関わる程、相手の嫌いな要素ばかりが増えていった。
本来ならそんな人と自ら進んで関わりに行くような事はしないのだが、今回の場合は、いつまで経っても「気になる」という状態が続いていたので、「これは絶対に何かある。自分の中にある何かが反応している証拠だ」と思って、イライラもやもやしながらちょくちょく関わり続けた。

そして先週、やっと一つ繋がった!
自分は相手の「俺様」な部分に嫉妬しているのだと。
かなり強い口調で我を通すその様がいつも気に入らなかった。
それは、本当は自分もそうしたいけどなかなかそうせずに居る状態にもやもやして、それを実際にやってのけている人に対して嫉妬していたのだ。
なかなかそこに繋げられなかったのは、私が本当にやりたいと思っている我の通し方とはやり方が違っていたから。言い方が気に喰わないとずっと感じていたから。
そういう表面的な部分に気を取られて、行為自体になかなか意識がいっていなかった。
それでかなりすっきりはしたものの、まだ今一つ、最後の欠片がはまっていない感じがしていた。
最後の欠片が気になりつつも、嫉妬に気付いた状態で相手を見てみると、全く見え方が違っていた。
嫌な感じは殆どしなくなっていたし、なんなら愛おしさすら感じるようにまでなった。
そしてその時発せられたその人の言葉から一枚の絵を描き始めた。
今思えば、その人に対する愛おしさが無ければ、すんなりその絵を描こうとはしなかっただろう。
そしてその絵が完成する少し前に、最後の欠片が急にばちっ!とはまった。

「あ、あの人過去の私だ」

あの俺様で威圧的な口調、正に20代の頃の自分がやっていた事そのままだった。
自分の非は一切認めようとしなかったし、なんでも「こうだろう」「こうだよ」と押し通す感じだった。
そして同時に、私はそんな過去の自分を許せていなかった。だから同じように振舞っている人に対して嫌悪感を抱いていたんだ。
実際は、過去の自分だと気付いた瞬間にもうその過去の自分の事も許せていた。あまりに一瞬過ぎて、寧ろ、許せていなかったのを許せたんだと、後からゆっくり認識する必要があった(笑)。
そして物凄く笑えた。
一人で暫く笑っていた。
「なーんだそっか~~、そういう事か~。なぁ~~んだ~~。」と、全てが繋がってすっきりしてとてもいい気分だった。

翌日、出来上がった絵をその人に見せた。
当初はただそれだけのつもりだった。けど、相手の方から色々と話を聞かされて、その流れで今まで私の中で起こっていたその人に対する事の一部始終を話した。
予想していた通り、相手も私の事は気に入らなかったらしい。
互いに何処かちりちりしたものを感じながら、それでも関わる事をやめなかった。その事にとても笑った。
今ではもう嫌な感じは全くしていない事、寧ろ愛おしさを感じている事を伝えると、驚かれた。
まあ、そりゃあそうだろうな。
この180度ぐるっとひっくり返る体験は私自身何度かしているが、ここまでの大きな変容は初めてだった。
そのままお互いに、それまでの「ここが嫌だった」「あれがいらっとした」「この発言にはぁ!?ってなってた」という話をしていった。
めちゃくちゃ笑った。
自分の中で全てが繋がってすっきりした後では本当に全てが笑い話だった。
特に、「イライラの相乗効果が酷い」と自分で発した言葉には今でも思い出し笑いをするくらい笑えてならない。

そして、自分を受け入れて許す事の意味と、意識の話をした。
ここでとてもプレシャスな体験をさせてもらった。
今までにこういう話をした後の相手の反応に、私は時折「拗ねモード」に入る事があった。
そのまま素直に聞いてくれる人も勿論沢山居たが、反発が強い人やそもそも論点がずれている人、そして、何より自分にはそれは無理だとのっけから諦めて投げ出してしまう人。
そういう人たちの反応に、私はよくジャッジをしてしまっていた。
どの反応であれ、自分の事を自分で決めようとしない、自分と向き合おうとしない「駄目な奴」というジャッジをしてしまっていた。
それもそれで、過去の自分を許せていなかったからだろう。
本当の意味で自分と向き合わずに、外に投げてしまっていたほんの数年前までの自分に対する責めだったんだと思う。
それが今回は、初めて、そのジャッジが一切出なかった。
今まで感じた事の無い不思議な感覚がふわっと沸いてきた。
なんだろうこれは...とじっくり感じてみると、それはただただ純粋な「悲しみ」だった。
そう、今まで私は、素直に聞いてくれない相手の反応に対して「悲しい」と感じていた。なのに、その第一感情を認めずに拗ねていた。
今回の相手の反応に対して私はただただ純粋に悲しいという感情が沸いて、それをそのまま相手に伝えた。
自分でも初めての体験だったから、戸惑いもあった。
でも、何も嫌な感じはしなかった。
心は凄く静かだった。
これが純粋な感情を味わうという事なんだと、初めて体感できた。
この後更にもっともっと大きな「悲しみ」と「寂しさ」も感じた。
あまりにも深い悲しみと寂しさを感じて、どう表現していいのかわからず「泣きそう」と伝えた。
実際は、本当に泣く感じはしていなかった。ただ表現として、泣きそうなくらいの深い悲しみを味わっているという事を伝えたかった。それもそのまま伝えた。
そしてやはり嫌な感じは全くしなかった。
寧ろ、それだけの深い悲しみの中に居るのに、心地よさすら感じていた。
本当に不思議だった。
なんの事象も入れず、ただ純粋に感情だけを100%味わう事の体感がこんなところで得られた。
今までで一番大きな宝物だった。
後から思い返すだけで喜びと感謝が溢れた。
いくらでも溢れてきた。
本当にありがとう。




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