ご褒美は後にとっておく.ゴールを先送りする.

 私の小学生時代の話から始める.当時,進研ゼミ小学講座(通称「チャレンジ」)を受講していたことがある.毎月分厚い問題集と付録雑誌が自宅に送られ,問題集の中には,扱った単元の定着度をはかる簡単な試験プリントが同封されていた.

 我々受講生は問題集を一通り解き終えた後,その試験プリントの問題に対する解答を記入して担当部署に送付する.すると「赤ペン先生」なる担当者の方が採点を請け負い,約2週間ほどで採点結果およびフィードバックが返却されるシステムであった.

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 ちなみに,試験プリントを解き送付を完了した優良な受講生には,もれなく「がんばりシール」が与えられる.この「がんばりシール」は毎月8枚ずつ獲得することができ,一定の枚数を貯めると景品と交換することができる.少しでも受講生に勉強のモチベーションを維持してもらおうとベネッセ側が用意した疑似マーケットのようなものと捉えてくれれば良い.

 そして私は小学3年生のときに,この「がんばりシール」における最上の頂を目指すことになるのだ.すなわち,当時一番枚数を多く貯めなければならなかった「240枚コース」,カシオ製の液晶テレビという景品獲得を目標に頑張ることになったのだ.

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 十数年前の話になるので,どうして240枚の「がんばりシール」と引き換えに液晶テレビを手に入れようと決意したのか,その経緯までは詳しく覚えていない.ただ,当時の自分の性格を考えると,シンプルに「自分だけのテレビが手に入るなんて,ロマンがあってなんかカッコいい」みたいに夢を膨らませていたのだろう.

 しかし冷静に考えて240枚ものシールを貯めるには,単純計算で2年と半年の時間を要する.これは,16世紀前半にマゼラン一行が世界一周を試みた際,出発地のスペインから南アメリカ大陸を通り,東南アジア諸国を経て喜望峰に辿り着くまでの期間とだいたい一致する.

 世界史の1ページを飾りうるほど途方もない年月をかけて,私はカシオ製の液晶テレビをモノにするためだけに,延々と「がんばりシール」を貯めていたということになる.正直ここまでくるともはや狂気以外何ものでもなく,純粋という言葉では片づけたくないほどに可愛げがない.

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 結論からいうと,無事私は240枚のシールを貯め終わり,液晶テレビとの交換に成功した.景品が届いたときに非常に嬉しかった記憶が今でも微かに残っているので,その瞬間はよほど高揚感に満ちていたのだろう.

 しかし,残念なことに肝心の液晶テレビの寿命は長くはなかった.ただの機械の故障というわけではない.

 最初の1週目は勉強部屋に籠って楽しく見ていたのだが,ディスプレイが2.3型と小さいうえに付属アンテナを伸ばして電波をキャッチする原始的な構造だったため,映像が頻繁に乱れてしまうのだ.2週目に入ると,結局リビングでお気に入りの番組を見た方が満足度が高いことに既に気付き始めていた.

 せっかくあれほど頑張って手に入れたものだから,と騙し騙しその液晶テレビを使用していたのだが,結局1か月を待たないうちに文鎮化してしまった.

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 今思うと非常に不思議なことである.2年6か月もの長い期間を経てシールを貯め続け,やっとの思いで獲得した景品の末路がなぜこんなにもあっけなかったのか.

 今となっては推測する他にないが,恐らく当時の自分はカシオ製の液晶テレビに対し,現物以上の何かを大きな価値として位置付けていたのだろう.「自分だけのテレビが手に入る」「誰にも邪魔されず好きな番組を見れる」「外に出てもテレビが見れる」.液晶テレビを得ることで実現されうるスタイルに何かしらの憧れを持っていたのではないか.

 手に入る前であれば,脳内でありとあらゆる想像が膨らむ.一方で実際に手に入ってしまうと現物以上の夢を見せることは液晶テレビにはできなくなる.

 もしかすると大半の夢や希望や目標と呼ばれるものには,上のような特性がつきものなのかもしれない.

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 加えて,当時の自分を想像するに,恐らく240枚を貯める過程は確かに苦しい場面もあったかもしれないが,総じて案外楽しいプロセスだったのではないかとも思うのだ.

 目の前のやるべきことをきちんとこなしていくことで夢や目標に一歩近づく,その分かりやすい進歩的日常そのものが楽しかったのではないかと思うのだ.事実,私は液晶テレビを獲得した後,明確な目標を失うことで深刻なバーンアウト症候群に陥り,中学進学を待たないうちにチャレンジの受講継続を諦めてしまった.

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 以上の経験から次のような仮説が考えられる.すなわち,ご褒美やゴールはできる限り後にとっておいた方が総合的幸福度は高いという説である.夢/希望/目標と呼ばれるものは達成したり手に入れる瞬間よりも,そこに至るまでの過程の方が楽しいという説だ.

 もちろんこれはあくまで私個人に当てはまるだけで,そのまま他の人に適用できるものではないかもしれない.しかし,これを暫定的に真な法則として頭の片隅に入れておくと,今後の行動指針が一層楽しいものになるのではと期待感が高まる.

 自分が欲しいもの,目指したいことにイメージを膨らませ(今回の「液晶テレビ」のように少し大袈裟なぐらいがちょうどいいかもしれない),それに向かってゴチャゴチャと頑張る.

 自分の場合,なんだかんだこれが一番合っているスタイルなんだろうなと思う.

いつもお読みくださり、ありがとうございます。今後とも、ふと思い立ったときにお立ち寄りください。 何か一つでも誰かにピンと来るような言葉を、これからも紡ぎだせるよう精進します。