「普通」は,押し付けるものでも従うものでもなく,乗りこなすもの

 「普通さぁ,○○じゃない?」
 こういった類いの言葉に対し,あまり良い印象を持たない人は少なからずいるだろう.
 あたかも自分が本来あるべき姿から外れていると指摘されているかのような錯覚を受けてしまう.なぜか自分が重大な間違いを犯したような....故に何となく居心地が悪くなってしまう.

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 私がnoteを開始して,本作が7作目となる.普段は三日坊主を体現したような私であるが,意外とnoteを毎週更新する習慣は続いており,さらに周囲の人も私の拙い文章を結構読んでくれているようだ.様々な形で反応を頂いており,非常に有難い限りである.


 その中で「『普通』についての考察を読んでみたい」というリクエストがあった.「大きい概念の言葉だけど,多用されすぎて実体を見失いやすい上に,場合によっては人に不快感を与える言葉だから」とのことだ.
 今回はこの「普通」について,私が考えていることを,少々垂れ流し的にではあるが極力整理しながら書いていこうと思う.

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 冒頭でも少し触れたとおり,「普通」という言葉が用いられる際,ポジティブなニュアンスで使われることは少ない.


 記念すべきnote1作目では「プライド」という言葉について取り上げ,「アイツはプライドが低いよね」/「アイツはプライドが高いよね」は,正反対な人物評であるにもかかわらず,どちらの言葉で表現しても「アイツ」に対してはあまり良いイメージを持たれないことを指摘した.


 この「プライド」という言葉としての性質は,「普通」にもどうやら当てはまりそうだ.「アイツは普通の人じゃないな」/「アイツは普通の人だな」…正反対の意味だが,やはり「アイツ」に対してはどちらの評価からもあまり良い印象を抱けない.
 もちろん文脈にもある程度左右されるとは思うが,この一文だけだと前者は「常識がまるで通じないクレイジーな人」と捉えられそうだし,後者は「特に面白みがなく,個性に欠ける人」という印象を抱いてしまう.

 これらから,「普通」には次の2点のような意味合いがありそうだ.1つは「話し手が『こうあるべき』『常識だ』とみなしているもの」,もう1つは「話し手が『ありふれたもの』『これといって特徴のないもの』とみなしているもの」である.

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 もう少し議論を展開してみよう.先ほど「普通」には大きく2点のニュアンスがあることを述べたが,どちらも主語を「話し手」としたことに着目してほしい.
 そう,あえて「大多数の人が」「一般の人が」を主語には置かなかった.

 私は,「普通」とはあくまで,各人の観測範囲内に閉じる概念と認識している.「普通」はその字面から,固定的な性質を持っているように見えて,実は非常に流動的な概念である.
 多かれ少なかれ,我々は一人として全く同じ環境に身を置いているわけではなく,全く同じ経験をしたわけでもない.たとえ誰かと同じ状況に居合わせたとしても,その瞬間に抱いた感情はその誰かと全く同じということはない.そのため話し手が異なれば,「普通」ではなかったものが突如「普通」になることは,当然起こりうるのだ.

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 私の経験を交えつつ補足していこう.私は元々勉強が好きな一方で,外で誰かと元気に遊ぶ性格ではなかった.大人数でわいわいドッジボールをやるよりも,一人でじっくり難しい問題に取り組んだ方が性に合っていたのだ.

 この性格ゆえに,地元の学校では少々肩身の狭い思いをした.「『普通』,給食終わったら校庭でみんなと遊ぶでしょ」「『普通』,授業が終わったら外に遊びに行くだろ」という意見が当時圧倒的な力を持っていたためだ.
 この「普通」のおかげで,私は一時期「自由時間でもなぜか教室に残り,よく分からないけど机に向かってる『変わり者』」というレッテルを貼られてしまった.

 しかし時は流れ,東京の大学生となり経済学の数学理論専攻のゼミに入ると,ガラッと環境が変わった.
 「Black-Scholesモデルは当然のこと,仮説検証のためにRを使った動学的パネルデータ分析ができるのが『普通』」という環境になってしまったのだ.
 幸運にも,優しい先生と優秀すぎるメンバーのサポートがあって無事卒業にはこぎつけたが,自らの不勉強ゆえに,残念ながらここでも肩身の狭い思いをすることになった(もちろん居心地は良かったが).

 要するに「普通」とは,その言葉が持つイメージとは裏腹に,普遍的でも不変的でもないということである.各人の経験や偏見が惜しげもなく注ぎ込まれた,極めて主観的な概念だと言い切って差し支えない.
 たかだか一人が視認できる範囲など非常に限られているにもかかわらず,そのごく少量のサンプルを根拠にして,それが一般的にも成り立つと推量すること自体が,そもそも正しくない.その人が「普通」だと思ったものは,その人の捉える世界において「普通」だということにすぎない.

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 これを前提にすると,「普通さぁ,○○じゃない?」という言葉が,場合によっては暴力的にさえ作用しうることは明白だろう.上記で考察したように,「普通」という言葉が実は流動的性質をもち,個々人によって指す意味が異なることを承知していても,本来「普通」がもつ辞書的意味としての「通常は・一般的には」というニュアンスが,やはりどうしても強い.


 加えて,「普通さぁ,…」と言われるケースを考えてみると,「あなたは,私の持つ『普通』とは外れてるよね」と不躾にラベリングし,自らの「普通」を半ば強制的に押し付けるような形になっていることが多い(当人に自覚がなかったとしても).
 当然言われた方は良い気持ちがしないだろう.コミュニケーションにおいて,「普通」という言葉は用途を正しく理解し使わないと,意図せず相手の心情(信条)を害したり,「なんて思慮が足りない人なんだ」と,間接的に自分を貶める行為になりかねない.


 具体的な事例を無理に一般化し,主語が大きすぎる表現を使うと多くの人の反感を買ってしまうように,自分の「普通」が他のどの人にも等しく当てはまるわけがないということを肝に銘じなければならない.
 また,仮に誰かの「普通」を押し付けられそうになったとしても,以上の議論を思い出せば,不必要に従順になることも勿論ない.

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 ここでnoteを終えてもよかったのだが,これでは「普通」という言葉をあまりにも悪とみなした状態で筆を置くことになる.それは私の本意ではないのでもう少し付け加えたい.先ほど,「普通」は各人の観測範囲上の概念にすぎないと指摘したが,この性質を逆手に取ってプラスに転じさせる方法もある.つまり,ある界隈が「普通」として捉えていることを吸収して,自分の視野を拡張するという方法である.


 一体どういうことか.分かりやすくするために異業種への転職を例にとってみよう.例えば事務職を続けてきたがどうしてもその仕事を好きになれず,ITエンジニアへの転身をはかりたい場合を考えよう.
 彼が最低限やるべきなのはITの専門知識をつけることだ.ではその知識をどうつければいいのか.闇雲に手あたり次第勉強するのはあまりにも非効率である.最も良い方法の一つは,ITエンジニアの「普通」をトレースすることだ.
 「ITエンジニアなら『普通』gitの知識ぐらいはあるでしょ」「インフラ系ならAWSとGCPは『普通』に使えるように」「linuxコマンドぐらいはみんな『普通』に使ってるよ」….「普通」は個人の観測範囲上のものだが,その個人がある専門分野に特化しているのであれば,彼らが「普通」と思っていることを吸収していけば方向性として誤りが少ない.

 もちろんこれはITエンジニアに限らず,他の分野でも適用可能だ.「東大を受験するなら『普通』これぐらいの問題は解けるようにならないといけない」「旅行慣れしている人は『普通』このツールを使っている」「ドイツ哲学を専攻したいなら『普通』これぐらいの知識は最低限もっているはず」といったように,その道その道で「普通」とされているtipsに一つのマイルストーンのような役割を付与するのだ.
 何も地図がない中で手探りに彷徨い歩くのもまた一興だがやはり心細い.そのようなときに,各分野における「普通」を集めて道しるべとみなし,その集合知をうまく乗りこなしていけば成長スピードを加速させることができる.物は使いようだ.

 少しは「普通」に対するネガティブなイメージを取り除けたのではないだろうか.

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 「普通」の押し付けに対して,不必要に心を乱される必要はない.自分の「普通」を大事にすれば良いだけのことだ.
 しかし,自分が今まで知らなかったジャンルに挑戦するとき,その道における「普通」を収集して,それを地図に歩みを進めると,思いがけず自分の世界を広げる糸口に出会える.

「普通」は無理に強制するものでも,甘受するものでもなく,乗りこなすものなのだ.

いつもお読みくださり、ありがとうございます。今後とも、ふと思い立ったときにお立ち寄りください。 何か一つでも誰かにピンと来るような言葉を、これからも紡ぎだせるよう精進します。