【開け、奈良~一句から始まる奈良めぐり~】第十三句 水の秋
俳人としても活躍する編集者で文筆家の倉橋みどりが贈るショートエッセイ。
奈良で詠まれた一句、奈良を詠んだ一句から、奈良の歴史へ人へと思いをめぐらせます。
第十三句
水の秋
深吉野の草木すこやか水の秋 茨木 和生 (1939/昭和14年~)
この句の季語は「水の秋」。
大好きな季語のひとつだが、日常ではほとんど使うことのない言葉だと思う。残暑が収まり、秋が深まっていくにつれ、空気も水も澄んでくる。だから、「秋の水」という季語には、ひんやりと透き通ったニュアンスがあって、その傍題(子季語ともいう。「歳時記」で、主要な季語のあとに載っている関連季語のこと)に、「水の秋」というのがある。
「秋の水」と「水の秋」。同じパーツを入れ替えただけなのに、意味も印象も変わってしまうのがおもしろい。「秋の水」は、秋になると澄んでくる「水」に焦点があり、「水の秋」の方には、水が澄んでくる季節、それがすなわち秋だという、秋の特色を「澄む水」に集約したいという思いが感じられる。
さて、この句の作者は、奈良の平群町にお住まいの茨木和生さん。「運河」主宰で、全国の俳人を束ねる大きな組織のひとつである公益社団法人俳人協会の副会長である。吉野をこよなく愛し、長年にわたり、吉野の桜を守る「チャリン募金」運動を牽引されている。そして、ご自身や仲良くされている俳人の方のお祝いごとがあると、お気に入りの東吉野の天好園という料理旅館で宴を催されるのだ。だから、私も何度も天好園に足を運んだ。近鉄榛原駅からお迎えのマイクロバスに乗り込んで、山合いの道を行くこと約40分。奈良市内からでもちょっとした旅気分を味わうことができる。具沢山のぼたん鍋、山椒の花をぜいたくに使った山菜料理、自家製の酢味噌がたっぷりかかった鮎のせごし……その度に忘れがたい旬のごちそうをいただき、初夏は螢狩へでかけ、秋の夜は虫の音に包まれ、ぐっすり眠る。朝の茶粥が出来上がるまでの時間、そこここに句碑が建つ広々した庭を歩くのもまた楽しい。
この句のどこにも天好園とは書いてないし、作者に確認をとったわけでもないのだが、この句を読んで、天好園の秋の風の感触とせせらぎの音がふわあっと蘇ってくるのだ。
そういえば、あの庭に建つ、茨木さんの句碑に刻まれているのは「水替(みずかえ)の鯉を盥(たらい)に山桜」という句だった。池の水を替えるために、鯉を盥に移す。どこからともなく、山桜の花びらがほろほろとその盥に散りかかる…。盥の鯉の窮屈そうな様子、やがて水替が済んだ池に戻されたときの、気持ちよさそうに泳ぐ姿が目に浮かんでくる。この句は、まろやかな春の水を詠んだものだが、「水」が主役となっているという点で、「深吉野の…」の句と相通じるものがあると思う。
今年はいろいろと大変だったが、それでも、あの天好園の、植えたのか生えたのかわからないような草花も木々も、そしてすぐ近くにそびえる高見山の姿も、きっとすこやかに秋を迎えていることと思う。いやそうあってほしいと心からそう願いながら、久しぶりに天好園を訪れてみたくなった。
倉橋みどりさんの連載エッセイです。今後も続きます。
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