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【開け、奈良~一句から始まる奈良めぐり~】第十句 吉野の雷(らい)

俳人としても活躍する編集者で文筆家の倉橋みどりが贈るショートエッセイ。
奈良で詠まれた一句、奈良を詠んだ一句から、奈良の歴史へ人へと思いをめぐらせます。


 子どもの頃から、雷が嫌い、ではない。
外で雷に遭うのはもちろん怖いが、家にいるときに遠くの方からゴロゴロと雷が近づいてくると、部屋を真っ暗にして、耳を澄ませ、窓の外を眺めたりしてしまう。
雷は「神鳴」とも書き、夏の季語だ。この原稿を書いている今日(2020年8月7日)は立秋なのだが、あえて雷を詠んだ、この句を紹介したい。

帰り来て吉野の雷に座りをり  大峯あきら(1929/昭和4年~2018/平成30年)

私は今、『晨(しん)』という俳句同人誌に所属している。1984年(昭和59年)に創刊されたこの会には、主宰クラスの俳人も多く、「俳句を日本文化の広い視野からとらえ、実作品の修練と向上を目指す」ことを信条としている。そして、他の結社では、会の代表を「主宰」と呼ぶことがほとんどだが、『晨』では代表同人と称し、その代表同人のひとりが、大峯あきら先生だった。
私が、この高い志を持つ同人誌に加えていただいたのは2016年(平成28年)のこと。要するにまだまだ新入りである。大峯あきら先生とは、年に一度の総会で一言二言言葉を交わすことしかできなかった。会場の一番前の席に、黒っぽい背広姿でちょこんと座っておられた。「ああ、あなたが倉橋みどりさん。よろしくお願いします」と、こちらが少し戸惑うほどに、丁寧におっしゃってくださったことを思い出す。低い、しわがれ声であった。
大峯あきら先生は、俳人であり、哲学者(大阪大学名誉教授)であり、そして、浄土真宗の僧侶で、吉野大淀町の専立寺ご住職もつとめておられた。多くの名句を遺し、昨年急逝された。
代表句とされるものは他にあるが、私が一番好きな句が、「帰り来て吉野の雷に座りをり」だ。激しい雷に慌てず騒がず、総会の時にそうだったように、ちょこんと座っておられる先生の姿が目に浮かんでくるのだ。
生前のインタビューなどをひも解いてみると、「吉野を離れたのは、学生時代にドイツに留学した一年だけです。僕はこういう景色の中にいないと、生きてる気がしないね。故郷ということもあるけど、ここにいると楽しいですよ」(『築地本願寺新報』2010/平成22年2月号)という吉野への深い愛着があり、この句については。先生ご自身が「開眼の一句だった」と語っておられることがわかった。
これも俳壇の巨人であった金子兜太との対談(角川『俳句』2017/平成29年7月号)では、「僕が吉野、産土で詠んだ俳句で、初めて『お前の俳句はいい』と言われたのをご紹介します。第一句集(『紺碧の鐘』)に入っています。ドイツ留学から帰ってきてすぐ、もの凄い雷鳴があった。それでスッとできたのが<帰り来て吉野の雷に座りをり>。(中略)吉野の雷はもの凄いですよ。山々に響いて、こだまするんです。そんな大夕立に遭って、座っているだけ。僕の住んでいる大淀町は山の中ですが、同時に吉野川の流域でもある。日本でいちばん雨量の多い大台ケ原という山奥から流れてきた川は私の村の前を通って、やがて紀州の海へ注ぐ。だから、僕は吉野の山奥におるけれど、同時に流れているものの横におって、川沿いの文化も享受しています」と語り、「書斎訪問」という俳句総合誌『俳句界』制作の動画(2013/平成25年)では「計算して作ったんじゃない句。どこから帰ってきたとは言ってないけど、隣村から帰ってきたんじゃない、風土も文化も違う遠い場所から帰ってきたことはわかるんじゃないか」とおっしゃっていた。
「なぜ自分はここにいるのかという問いを追求する学問が哲学。一方、俳句は感じたままを素直に詠む。だから若いときは、哲学と俳句とが反発し合って苦労した」と振り返る先生の、「俳句をうまく作る便利なノウハウなんてない。とにかく悪戦苦闘。『我』が、『我』を超える大きな力によって破られたとき、詩の言葉が現れる。それを悪戦苦闘しながら待つしかない。でもその瞬間は喜びそのもので、だから俳句はやめられないねえ」(同上「書斎訪問」)という言葉には、圧倒的な重みがある。
一昨年の急逝に、『晨』のメンバーは呆然とするよりなく、俳壇には衝撃が走った。亡くなられた年の総会では、同人たちが、先生がお好きだった深紅の薔薇を一輪ずつ遺影にお供えし、追悼句会をした。
なぜもっと話をしなかったのか。同じ奈良にいながら、どうして会いに行かなかったのか・・・・・。後悔ばかりが押し寄せるが、どれももう叶わない。だから、せめて、一度吉野の雷に遭ってみたいと願う。山々を揺るがす激しい激しい雷に。
冒頭に書いたように、雷は夏の季語だ。が、稲妻、いなびかりは秋の季語である。雷は空に轟く音が身上で、同じ現象が、秋になると、稲を実らせる力を持つ光として認識されることは興味深い。大峯先生は光になられたのだ。そう言い聞かせると、少し心が鎮まるが、夜中にこんな文章を書いていると、やはり思わずにはいられない。
たくさん聞きたいことがあった。

写真提供・山本茂伸

以上

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