宇宙、、地球、、そして、社会。。さらに使命🤔

パッと見、宇宙があり地球があって、その上に社会がある。ひょっとすると宇宙の手前に神様があるのかもしれない。そして、人とは環境に依存し適合しようとする生物だが、老化によって適合能力が無くなっていく。

人の老化による適合能力低下は地球環境に対してのものであるように見える。決して社会環境に対してではないだろう。ここで社会環境に適合するために持ちつ持たれつが必要になってくる。

社会とは過酷な地球環境に適合するための集団生活ではなく、影響力のある人の思想戦争であり、この戦争は地球環境の過酷さとは大きく違った過酷さがある。この思想戦争では地球環境を利用する存在となる。強制的に地球環境に沿って生きる者は思想戦争に利用される者になる。

ここで特異な教えが仏教である。

仏の教え、仏の道である。仏とは心身の状態を指し、救われた状態とも呼ばれる。心身を抽象化した魂を供養するという概念も存在する。宇宙の一部である人間は魂レベルの救いが必要であるという理論だ。

人間と魂を救済の関係性

とにかくハッキリしない。様々な経験がなければこの関係を見出すことはないだろう。もしくはある特定の感情を抱く経験をしなければ…ある特定の感情とは人生をやり直したいという苦しみだ。心身を抽象化した情報、魂の書き換えを望む願いである。

思想戦争によって魂の書き換えを望む願いは尽きない…宇宙環境や地球環境に沿う者はただ利用されるしかないためだ。ここで仏教のような魂レベルの救済の教えが出てくる。だが、実際にそれは可能なのだろうか?

魂レベルの救済需要はハッキリとしたものだ。それに対して実際の手法からの効果だ。様々な手法があるが、筆者は禅というものを知って仏教にのめり込んだ口だ。自分が考える禅では「理解」が最も重要な要素になる。

人のあらゆる苦しみは自分がなぜこんな目に会っているのかを理解していないためだ。

理解しても尚残る苦しみが革命を望む。これは納得レベルの理解ではなく、新たな事象を足すことによって納得しようとしてる、納得不足を補うためだ。主にこの納得不足で思想戦争は動いている。

このように俯瞰する己を構築し、納得し尽くした先に、なぜかどうしてもやらねばならないことが見えてくる。これを使命と呼んでいる。

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