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「母親に放送が聴かれております」について

やっとギリギリで宮崎駿さんのドキュメンタリーも見てきたので、この熱が冷めないうちにこの回を振り返っておきたいと思う。
こんなタイトルの回だったんだね(笑)


お母様へ

今聴いているとちょうど2023年の横動画作り終えたタイミングだったのか、となんだかもうちょっと感慨深い。
年末年始、お休みするようになった水溜りボンドだけど、それでも毎年焦りの一月だったんだなぁと裏側を知ることが出来て、嬉しかったのも覚えている。
そんな中、Voicyを毎回聴いていると報告をくれるカンタくんのお母様、かわいい。
「いつもお世話になっております」なケンちゃんもかわいい。
このときは比較的あっさりではあるものの、素直にご家族に感謝を伝えられるカンちゃんケンちゃん、素敵だなと改めて感じた。

宮崎駿さんのドキュメンタリー

実はこの放送回の時、まだ「君たちはどう生きるか」も観に行っておらず、とりあえず映画を観に行き、先ほどやっとギリギリで(購入は本日まで)宮崎駿さんのドキュメンタリーを見てきた。

この回のカンタくんの話を聴いている時は「そうなのかぁ」と思ったくらいだったが、映像を見たら衝撃を受けた。
なんと言葉にしたらいいのかまだ見つかっていないのだが、思っていた以上に重たい。
ものづくりをする人の執念にも似た何か、高畑勲さんへの執着。
凄かった。
私はディズニーよりジブリで育った人なのだが(人生初映画は紅の豚)、だからこそ思想の強さとか意味を持たせすぎることに少し抵抗感があって、作っている方々のことはあまり深く知ろうとしていなかった。
そんな私でも圧倒されつつ「見て良かった」と思えるこの番組、凄いな。

カンタくんの言う通り編集も素敵で、ジブリのキャラのシーンが所々に入っていた。
好きなキャラクターがいると嬉しいなと感じつつ、なんだかいつも見ているキャラクターたちが私の知っているキャラクターではなくて、このキャラクターたちは宮崎駿さんの人生を語るために存在しているかのようにも感じた。
そして、この中で鈴木敏夫さんが「宮さんにとって映画の中が現実、現実は虚構(ちょっと言葉は違うかもしれない)」と言っていたことを証明しているようでゾクッとした。

そして、鈴木敏夫さんが「片思い」という表現を使っていたが、想像以上に宮崎駿さんと高畑勲さんの関係性が強かった。
なんて強烈な片思いなのか。
不器用な真人が変化と共に己の成長を手にして行くストーリーのように思っていたが、そんなことなかった。
大伯父(高畑勲)に出会い、別れるためのストーリーだった。
時期が時期ということもあったが、多分どこまでも高畑勲さんとの対話でしかなくて。
絵コンテが出来ないのも半身以上の存在である高畑さんを切り離したくないように見えたし、絵コンテを書き終わってしまった後は完成させてその存在と別れたくないように見えた。
「死の匂いがしてきてる」と表現されていたのもそう。
決別を理解していても、存在を求めてしまうんだね。
そんな人と出会って、人生を変えられた宮崎さんは一面ではひどく幸せで、一面ではひどく不幸かもしれない、なんて思ってしまった。
鈴木さんが言っていたが、憧れのあまり筆跡まで似せる、って凄い。
と、今こう言葉に落とし込んでいるなかで、高畑さんに出会って人生が変わった宮崎さんは少しカンタくんに出会って人生が変わったトミーを思い出したりするな、と思った。
「ふたり。」で初めて明かしていたが、誰より凄いと思っているからこそ横にいて劣等感と戦い続けなければならない。
でも、一緒にやっていたい。
その呪縛にも似た喜びと苦しさ、そして強烈に引き合う離れられない存在。
ちょっと似ている気がしたのだ。
水溜りボンドはどんな道を歩んでいくのだろう、とふと思ってしまった。

カンタくんの感想はものづくりの人って感じでドキュメンタリーを見終わった後に聴いても自分と違っていて面白かった。
「ものづくりは沼」
なるほど。
恐れをなしつつ、「形が変わっても作り続ける」と言っているカンちゃんケンちゃんは改めて凄いな。
私はあの番組を見て「作り続ける」とは言えない。
そして、
「遥か直線上だけど直線上にいる。」
「人生にちょっと明かりがつく感覚があった。」
というカンタくんの言葉。
彼のこういう感覚が理想を現実に引き寄せるんだと思うし、彼の強さだと思う。
映画のことを「そんなに難しいことを言ってないでしょ。」とも言っていたが、きっとこの「素直さ」が彼の美徳であり、ひとつ強みなのだ。
彼がこの直線を歩んだ先にどんな背中が見えるのか、「ものづくり」をする佐藤寛太が楽しみにもなった。

最後に少しだけドキュメンタリーを見た私の感想も。
色々感じるところはあったのだが、「めんどくさい」に安心すると言われていたのがひとつ特に印象的だった。
なんていうか、「めんどくさい」に宮崎さんがこの世界と結び付いていることを感じてるのかなとなんとなく思ってしまったのだ。
「現実は虚構」と言われていたが、本当に途中でどんどん現実から離れていってしまっているように感じて。
見ているだけの私でも感じるだからきっとそばにいる人はもっとそう感じているのではないだろうか。
そんな宮崎さんが「めんどくさい」と口にする度、今 ここにいることを感じて安心するのではないかな?なんて思ってしまったのだった。
そして、米津さんによって曲を通して世界観や切実に震える気持ちみたいなものが表現される度、キャラクターに声が吹き込まれて存在が浮かび上がっていく度、演者さんに表現を求め拘りを現実にする度、御祓を重ねるようにこの世界に帰ってくるような宮崎駿さんが印象的だった。
作品を現実に送り出すことで、また少しだけ「宮崎駿」という人間はこちらに帰ってくるのではないだろうか。
そして、そんな宮崎駿と世界を繋げてる鈴木敏夫さんのことに更に興味がわいた。
分かりきっているように宮崎さんを評す鈴木さん。
アオサギにその役が託されたように感情の発露を与え、時に導き、手を差しのべる。
そんなことが出来る人、なかなかいないと思うのだ。
カンタくんが尊敬する理由が少し分かったような気がした。

改めてこの凄い人とカンタくん会ったんだよな。
凄すぎないだろうか。

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