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「しばらくカンタ一人放送にお付き合いください」について

カンタくんの一人放送2回目。
ここは応援の意味も込めて徒然と書いておきたくなりました。


2回目の1人ラジオ

「よいしょ〜」が空間に響く少し寂しいタイトルコール。
でも「こんにちは、こんばんは、おやすみなさい」が加わってより距離感の近さを感じたね。
こういう距離の詰め方をしてくれるのがカンタくんだなぁ。
ただ、「非常によいしょ〜ですね」は「よいしょ〜」の活用が多彩すぎて謎ですね(笑)

7月に大きな発表があるというカンタくん。
人生において大きな発表。
結婚じゃなくチームの話ってことは会社のことかな。
当初6月と言っていたけど、ケンちゃん復活まで待ちたいもんね。
それとも会社で大きなお仕事が決まったのかな。
そこまでにケンちゃんの完全復活を目指し、カンちゃんケンちゃんはお休み期間にしたいというカンタくん。
もちろんだよ。
ぜひケンちゃんはゆっくり自分のために時間を使ってね。

録音は夜。
ANN0思い出すね。
カンタくんの言う通り、一人で喋ることと相手がいて喋ることは本質的に違う気がする。
自分の頭と会話する、とカンタくんがいっていたけれど1人だと自分に潜るという感覚になる気がする。
だからこそ大変なんだと思うし、自分と向き合うことができる人が向いてる気がする。
その点、カンタくんは向いていると思うな。
リアクションがあるとは言え2時間はけっこうよ。
タイトルコールのところで感じたが、1人だからこそ距離感近く、質問に答える回にしていきたいカンタくん、その距離感の詰め方が秀逸だと思う。
「ホーリーチェーンソーネーーーム!」は久しぶりすぎて震えたけれども(笑)


アートとサイエンス

今もスーパーナチュラルを継続しているカンタくん。
進化しようとしている、とな。
これまで24時間YouTubeに時間を注いできたカンタくん。
時間のかけ方が一番なのではと感じたことがあると言っていたが、それはきっと真実なのだと思う。
カンタくんの努力と誠実さ、向き合う姿勢は他の追随を許さないレベルだと思う。
(実際「頭がおかしい」と一目置いてもらえることもある、と言っていた。)
でも、「何かが違う」
それはここまで全力でやっているカンタくんだから感じた「透明な突破できない壁」なんだろうな。
そこを突き抜けていくには理論じゃない。
サイエンスでいけるところは限られている。
そこに続いたカンタくんの例えは私の真面目コンプレックスを非常に刺激した。
特に仕事の例え。

東海のサムネや遅刻しての土下座の話はエンターテイメント、という観点で凄く納得するものだと思う。
確かに東海、特にサムネに理論は感じないけど「くだらなくて笑わせてくれそうだなぁ(褒めてる)」とどこか心を惹きつけるものがあるように思う。
あれってなんで?と訊かれても確かにあんまり良く説明できないな。
よく遅刻しては謝ってたのもいろんな感じ方があると思うが(かなり賛否両論なリプだったような記憶もある(笑))、確かに思わず笑っちゃったりしたなぁ。
あれはもう彼らの人間としての愛らしさのような気もする。

さて。
本題の仕事の例えから繋がる話。
私は真面目コンプレックスを持っていると自覚している。
人生、真面目に生きてきたと思う。
小中高もグレることなく外では良い子だったと思うし、大学でも飲んだくれることなく塾講のバイトも勉強の支障にならない範囲。
大学が理系だったこともあり夜遊びの余裕もなく(学校の場所的にそんなことをするような場所でもなく)、まじめーに勉強していた。
結果大学では総合優秀賞を取ったものの、ずーっと多彩な経験をされている人、そこから得た経験を活かして人とコミュニケーションを上手に取れる人に対してコンプレックスがある。
もう一度人間に生まれ変わるならその時にしか出来ない経験を重ねていく人生を歩んでみたいと思っている。
「正しくない世界を正解にしていった人が答え」
ほんとにそれなんだよな。
結局「魅力的な人」って「人間力」だと思っていて、「真面目」で得られる人間力は限りがあると思う。
なんとなく、カンタくんの話を聴いて私はこの感覚を思い出した。
ただ、カンタくんと似た感覚を持っていても圧倒的に違うこと。
それが「理論武装からの逆走」を決め、動いていけること。
私はこのアートとサイエンスって個性だと思っていて、もうその枠から外れることはできないように思っていた。
でもカンタくんはそこを飛び越えていこうとしているんだね。
目から鱗の感覚だった。
「30代のコンセプトはアートに生きていきたい」
かっこいいよ。
しかも今回のカンタの大冒険の動画でのコメント。

カンタくんはもうその進化を少しずつ形にしているんだなぁと感動した。
やっぱりカンタくんはすごく刺激をくれるな。
私もアートに生きるために出来ること、考えてみたくなった。

そして、大切にする範囲と順序を整理できたカンタくん。
自分と周りの人を大事にして、やりたいことをやりつつ説明を怠らない。
それってここまで真面目に頑張ったから得たもののように思っていて。
これまでが間違っているとも思ってないし変えるつもりもない、というカンタくんの言葉が心強く感じた。
そして、何より強く心に残った言葉。
「鎖がなくてもここにいる」
胸が一杯になった。
この間の水溜りボンドのMBTIの動画で、トミーが監督役になって、カンタくんがプレーヤー側の相性と言っているシーンがあった。
YouTubeを始める提案をしたのはカンタくんだけれど、水溜りボンドの、そしてカンタくんの素晴らしさに誰より自信を持ってカンタくんを舞台上に出したのはトミーだ。
それが9年を経て完全なる自分の場所になったんだなぁと思うと胸が一杯になったのだった。


感想読むよ!

ケンちゃん、みんなのコメント喜んでくれてたんだね。
良かった。
凄く嬉しい!

無理しちゃいけないわけじゃない。
でもそれが本当に必要なのか、人に迷惑をかけることではないかは考えなきゃいけない。
そんな話をする中でカンタくんが言ってくれた言葉に思わず思い切り頭を縦に振ってしまった瞬間があった。
「ファンが好きで楽しませたいのにそれで命を落とす、病気になってしまった場合「楽しませてくれたせいでこうなった」と一気にひっくり返る。」
「「そんなことになるなら楽しませなければよかった」と思わせたら悲しい。」
そう。
そうなのだ。
別に、推しにとって私が数字の1でしかないのとは理解している。
それでも「無理しているのに気付けなかった」ということをとても罪深く感じてしまうのだ。
それとこれは違う、と冷静に思う方の方が多いだろうと思う。
おそらく、この感覚は私のこれまでの経験からくるものだ。
前にも書いたかもしれないが、うちは母が少々気持ちが不安定なタイプだ。
通院していたし、一時期入院もしていた。
まぁ色んなことがあったわけだが、兄以外が触れることができなくなった時、入院先情報を私達に教えられないと言われた時、「それほど私の存在は母親という人間にとって負担で、己を傷つけるものだったのか。」とその事実に気づかず安穏と過ごしていた自分が恥ずかしいと思った。
同時に「この人は私がいなければもっと幸せに生きられたのではないだろうか」とも思ったのだ。
別にそれが事実かどうかは大切ではなくて。
幼少期の自分にはそれが真実で、深く心に残っている。
だから「たかが「1」とは言え、実はずっと無理をする一端を担っていたのでは。」と幕張で倒れた話を聴いた時、苦しくて涙が出た。
正直、楽しんでいた自分をひっぱたきたくなった。
でも、それはトミーもカンタくんも望んでることじゃないよな、とその時思ったのだ。
私は自分の問題なのでトミーもケンちゃんも気にしなくていいのだが、でもこういう人って私以外にも一定いるような気がする。
(特に私と同じINFPさんは感覚になってひまう人が多そうだ)
笑顔の記憶が苦しみの記憶になったら悲しいよね。
カンタくんの言うこと、すごくわかってしまった。
大切にする順番の話をカンタくんがしていたけれど、「自分」を大切にしてくれることがファンの笑顔を守ることにも繋がることは知っていてくれたら嬉しいなぁと思うのだ。

100キロマラソン1回目の話が聴けたのも嬉しかったなぁ。
たくろーくんがずっとサポートしてくれてたんだね。

「この熱いメンバーがいてくれたから毎日投稿が続けられたし一人で編集も続けられた。」
なんて信頼なんだろうと思う。
そして、行動で示されるその愛情、応援をちゃんと受け取っているところが素敵だね。
最近私はアイシナモロールに魅了されているのだが、ちょうど今回の安田顕とのクッキングを見て相手の配慮に気づき、感謝できることは相手を大切にすることなんだ、と感じたところだった。
まさにカンタくんはそれを体現しているなと思ったのだ。

素敵な人の周りには素敵な人が集まるね。
そんな素敵な人たちを教えてもらえる今があることが嬉しい。
ありがとう。
これからもぜひ教えてください。

次回は質問回になるのかな。
一人でやると質問たくさん答えられるカンタくん。
(水溜りボンドだと全然答えられないのも愛しい。)
きっとANN0とは違う質問がたくさんあるから、みんなといろんなおしゃべりができるといいね。
次回も楽しみにしてます!

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