吐き出せる場所がない。話せる人もいない。

脳脊髄液減少症に倒れてから早4年、元は治ると思っていた病気がこんなに長引くとは思っていなかった。
今私が最も悩んでいることの1つが、
「辛い思いを話せる場所がない、吐き出せる場所がない」ことである。

あまりにも苦しい思いや辛い思いをため込みすぎてきた。カウンセリングを受けようと何度も思ったが、金銭的なもので諦めたり、対面カウンセリングは寝たきりであるため、行くことが難しい。
そんな理由で、完全に社会から見放されてきた。

これがもし、他の病気であれば、よく知られているメジャーな病気であれば状況が違ったのかもしれないと思う。ここまで見放される病気があっていいものなのだろうか。

この気持ちをどうにかしたいと言う意味合いでもこのブログを始めた。

寝たきりの脳脊髄液減少症あるいは近隣病態の患者は、どうやってこの心のケアをしているのか、とても気になっている日々である。

少しでも外に出れたり、社会的な関わりが持てる人はまだ良い。かつて私が病気を発症していても少しはうごけていた時のように。

しかしここまで社会と隔離されてくると、本当にどうしていいかわからない。

大切な友達ほど、辛い思いを話したりそんなことを聞かせたくない。死にたいなどと言って困らせることもしたくない。

そんなわけで、何年もずっと1人で抱えてきた。
誰にも心の内を割って話すこともできずに。

家族に相談しても、「カウンセリング何かにお金を使わずに、楽しいことを考えて笑っていればいいのよ。」などと軽くあしらわれてしまう。
もうこのままでは死ぬしかない位追い込まれていると話してもなお、同じことで返される。
私は死なないと思われている。
本当は24時間いつでも死にたいと思っているにもかかわらず。

私の心の傷や深い悩みは、1時的な楽しさや笑いなどで書き消せるほど軽いものではない。

これからどうやって生きていこう。
どうやって楽にしていこう。
自分1人では考え尽くして、もうなすすべはなさそうだけれども、それでもしがみついて今日も生きている。

ある程度症状が軽い患者が社会と交流を持ち活躍している姿を見ると羨ましくて仕方がない。

なぜ私は、交流を絶たれなければならないのか。
母は言う。
「今はコロナで大変だからうつると大変。コロナがおさまってから外で活躍しよう」と。

それまで待てるのだろうか?
心はどんどん蝕まれていく。
それと同時に、長年寝たきりで家の中で暮らしていたため、体力もどんどん落ちていく。
頭もどんどんボケていく。
先日はついにはろれつが回らなくなって今まで通りしゃべることもできなくなってしまった。

こんな状況でも、それまで待てるのだろうか?

私はその時まで生きていられる自信が正直なところない。そんなことも家族は気づいていない。ずっと私は生き続けていると信じているところがある。だから家の中に閉じ込めておいても死なないと思われているのだろう。

死ぬまでに外に出たい。人と関わりたい。社会と関わりたい。
そんなちょっとした夢が叶う世の中になってほしい。

死にたくはないけれど、死んでしまいたい。
できることならば根本的な解決をして、生きるのが理想。
そして、コロナがおさまって私が外に出れる日をずっと待っている。

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