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Do you have the time? vol.1

20代の頃、カナダで暮らしていたことがある。                それは、いつものようにダウンタウンに向かう路線バスに乗車した時の事だった。
「Do you have the time?」
車内の通路をはさんで隣の席、その初老の男性は僕にそう問いかけた。
困惑した表情で「Sorry?」と聞き返した僕に、彼は自分の左手首を指でつつきながら「It's time」と答えた。

なるほど彼は今何時?と聞いていたのだ。
英語で今何時?と言えば、What time is it?と教えられた僕にとって、それはとても新鮮な驚きであったのを今でも憶えている。

ーI always have”time”

僕はいつも、その心地良い重量感と共に自分の「時」を身に付けている。
そう、「時」をハンドリングする唯一の道具、腕時計である。
何本かの時計をTPOに応じて使い分けているが、中でも機械式の時計が好きだ。

多数のミニマムなパーツを組み、ゼンマイを巻き上げ駆動している姿は、機械と言うよりも、有機的な温かみを持つ生き物の様に僕には感じられる。
実際、機械式のタイプは、オーバーホールなど定期的なメンテナンスのもと半永久的に動き(生き)続け、時代を超え受け継いでいく事さえ可能なものもある。
それは、時を刻むというよりは、むしろ所有者の人生と共にあり、歴史を刻んでいるといってもいいのではないだろうか。

映画「イージーライダー」の冒頭シーンをふと思い出した。      
ピーター・フォンダは、はめていた腕時計を投げ捨て、なにものにも囚われないアウトローで自由な世界を求め、チョッパーに跨り走り始める。

僕は、お気に入りの腕時計を決して外すことはないだろう。
なぜならそれは、とりまくあらゆる事象や存在を受け入れ、「時」を刻みながら僕と共に生きているからだ。

ーYes! I always have”time”on my hand.

今この瞬間も、僕の左腕でチッチッチと軽やかな音を立てながら、僕自身の歴史を刻んでいる。

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お気に入りの腕時計達に対する、些か偏好性のある「想い」を、ショートショートでお伝えするこのシリーズ。記念すべき第一号はこちら

LONGINES
ADMIRAL FIVE STAR Automatic 
(ロンジンアドミラルファイヴスター)

この時計は叔父より譲り受けた一品である。ADMIRALとは「提督、海軍大将」という意味。さすがミリタリーウォッチの分野で各国の軍に納入実績が高いロンジンならではのネーミングだ。
どうもこのアドミラル、記憶を辿っていくと、もしかしたら僕自身が最初に意識した舶来腕時計だったような気がする。

時は1970年代、小学校の3~5年生くらいだろうか。それまでは、叔父がどんな腕時計をしているかなど全く関心が無かったのだが、このロンジンを一見した時、それは羨望の対象に変わったのだった。

ーうわぁ、ロンジンだ、カッコイイなぁ。

スイス製高級腕時計。
当時、テレビのクイズ番組や、歌合戦の副賞品として使われていた御三家があった。
酒田時計貿易が扱うラドー(RADO)と平和堂貿易が扱うウォルサム(WALTHAM)、テクノス(TECHNOS)の三社である。

当時(定かではないが)服部セイコーが代理店で、ちょっと格上だったかもしれないロンジンが、果たして副賞品に使われていたかどうか明確な記憶は無い。ただ、小学校中学年の男子にとっては、「この紋所が目に入らぬか~」的に同じ括りでインプットされてしまった可能性が高いと思われる。

左腕にキラリ、ロンジン。叔父がとてもカッコよく見えた。

そんな羨望の眼差しで見ていた腕時計を譲り受けたのは、誠に光栄の極みではあるが、実は少々気になる点がある。

叔父の話では、このロンジン、彼が叔母から香港旅行のお土産として貰ったものらしい。なるほど「親から子そして孫、世代から世代へ」あのパテック・フィリップのコピーを思い出したりして、ニンマリしていたのも束の間、真贋という意味で、当時の香港旅行土産という素性に一抹の不安を抱かずにはいられない。しかも、未だオーバーホール(以下OH)を経験していない鎖国個体であることが、さらにそれを増幅させた。

いずれにせよ近い将来、我が港に黒船が来航し「昭和オヤジの眠りを覚ますOH、たった一度で夜も眠れず」となるやもしれないが…冷汗

そんな不安要素は一旦脇に置き、早速ファイヴスター提督に謁見するとしよう。

先ずはこの独特なケースが目を引く。
極端にラグが短いスクエアなフォルムはクッションケース(お座布団)と呼ばれるタイプで、ケースサイズの実寸よりも大きくボリューミーに見える視覚的効果がある。デイト機能を備えている自動巻きのモデルであるにもかかわらず、厚みが適度に抑えられ、エレガントながら存在感をアピールするのに一役買っている。あたかも英雄豪傑さを表現したかのような存在感のある意匠は、まさにアドミラルの名に相応しいと言えるだろう。

風防はアクリル製のドーム型、ブランドロゴである「有翼の砂時計」とペットネームを表す「ファイヴスター」、端正なバーインデックスはそれぞれしっかりとアプライドされており、当時の真摯なモノづくりを垣間見ることができる。

外装はこのくらいにしていよいよ肝心要の心臓部、ムーヴメント(以下ムーヴ)はどうなのだろう?

もちろん、名機と言われるキャリバーを積んでいるに越したことは無いが、僕はどちらかというと、内機よりもケース・文字盤・各パーツの意匠に始まり、ペットネーム・メーカーやモデルの歴史・開発ストーリーなどに触れ、それらの結晶体としての美しさや、単に「直感で魅かれた」などの理由から腕時計を選んでしまう傾向がある。

そこでこのアドミラル、ペットネームである「ファイヴスター」が気になっていたというのもあるが、譲り受けた時計なのでその正体をある程度は知っておく必要があると思いググって調べてみたところ、驚くべき事実を知る事となった。なるほど盤面に輝く五つの星にはちゃんとした意味があり、それは自社開発ムーヴの精度五段階評価!を表していたのである。となればこのアドミラルは最高位に君臨する上位ムーヴを搭載していることに相違ない。

1970年代初頭、ライバル競合他社がムーヴメント製造会社より汎用ムーヴを供給する中、一歩抜きんでるためマニファクチュールの誇りをかけ自社ムーヴ開発に着手したロンジン。折しも軍用時計製造で卓越した技術を擁していた〈レコードRecord社〉を買収、渡りに船とばかりに同社が有していた名ムーブ〈Record1955〉に手を加え、1970年自社ムーヴ〈キャリバー505〉を生み出した。続く1972年さらにハイビート化した〈キャリバー506〉を開発、とまあ誕生秘話はこんな感じ(どうもキャリバー503~508まであるようだ)

えらくざっくりで申し訳ないが、性格上この手の説明はこれくらいが限界である笑

要はこのアドミラルに搭載されている(であろう)ムーヴは、間違いなくレコード社デザインのものであり、年代的には505ではなくハイビート化した506だと思われる。しかもこれらレコードムーヴを使用した期間は僅か2~3年程と短いため、搭載するモデルは希少価値が高い可能性も否めない。

小学生の僕が憧れていた腕時計の背景に、こんなストーリーがあったとは…感激も一入である。

現状アドミラルは稼働はしており、日差も平置き1分以内、未OH個体の割にはなかなか精度が出ている(さすがレコードムーヴ?)ただ、竜頭を押すことで日付を変えられるクイックチェンジなる機能があるのだが、それは壊れているようだ。あとアクリル製のドーム風防は、紫外線による経年劣化が見受けられるので交換が必要だろう。

譲り受けた時は、このまま観賞用としてコレクションするつもりでいたこのロンジン。色々と調べ、知った事により、武勇(名ムーブ搭載?)で名を馳せたであろう提督を、このまま勇退させるのはあまりにも遺憾である。可能な限り整備を行い受け継いだ世代として共に歴史を刻んでいければ、今はそう考えている。ただ、汎用ムーブでは無い事が逆に災いし、大がかりな修理の場合パーツが手に入らず修理不能となる可能性はある。その事は心の片隅に置いておかなければならない。

果たして、このストーリーが美しいまま語り継がれるか否か、それはドック入りして裏蓋が開けられるまで決してわからない。

ファイヴスター提督率いる506艦隊。
その主力艦であろうこの一本は、今、静かに「その時」を待っている。








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