友ヶ島灯台|和歌山県和歌山市
友ヶ島灯台(A)|和歌山県和歌山市沖の島 2024年5月31日
1872年(明治5年)6月25日点灯。
設計はリチャード・H・ブラントンで花崗岩による石造り。江埼灯台に次いで国内8基めの洋式灯台となる。当時のレンズは3等不動レンズで1942年4月20日まで使用された。第二次大戦中に米艦載機の機銃掃射を浴び、現在当時のまま残されているのは石造の塔灯とチャンス・ブラザー商会製のレンズ台座のみとなっている。
友ヶ島は友ヶ島水道にある地の島、神島、沖ノ島、虎島の4つの島の総称で、友ヶ島灯台はそのひとつ沖ノ島の西端に建てられた。建設当時の名称は“苫ケ島灯台”だったが1914年(大正3年)に友ヶ島灯台に変更された。
1867年(慶応3年)に兵庫の開港に備えて幕府と英国公使との間で交わされた大坂約定(大坂条約)に基づいて建てられた5基の灯台のひとつ(友ヶ島灯台、江埼灯台、六連島灯台、部埼灯台、和田岬灯台)。
紀淡海峡から大阪湾に至る重要な位置にあったため、1890年(明治23年)に「要塞地帯法」が公布され友ヶ島全島が要塞地帯に指定。由良要塞群(淡路島由良地区、和歌山県加太・深山地区など)のひとつとして整備された。同年に沖ノ島に陸軍の第一砲台が建設されることになったため、現在の位置より海側にあった友ヶ島灯台は25m東側の現在の位置に移転した。灯台の下には地下倉庫があり、軍の弾薬庫として使用されたという。
移転前の友ヶ島灯台は無塗装であったが、移転後に白色に塗装されている。
また戦前にはこの地域に入ることが禁じられていたため、灯台職員は要塞司令官の許可がその都度必要だった。
島内には第1から第5までの砲台陣地跡や兵舎跡などが今も残っている。
参考
『燈光』1994年5月号/2021年5月号 公益社団法人 燈光会
『明治期灯台の保全』 財団法人 日本航路標識協会
『明治の灯台を照らす 灯台とお雇い外国人ブラントン』 稲生淳/七月社
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