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樫野埼灯台|和歌山県串本町

オーシャン東九フェリー船上より(2023年10月25日)

樫野埼灯台(B)|和歌山県串本町 2023年5月2日

1870年(明治3年)6月10日に潮岬灯台の仮点灯と同時に点灯を開始。1866年(慶応2年)の改税約書(江戸条約)締結により建てられた8基の灯台のうちのひとつ。リチャード・H・ブラントンが手がけた最初の灯台であり、最初に築造された石造灯台。隣接する石造りの旧官舎もブラントンが日本で最初に竣工させた建物。石材は対岸の古座川町産の宇津木石。レンズは反射器付レンズを採用し、1933年(昭和8年)3月に二等二連閃光型フレネルレンズ変更された。また日本で初めての回転式灯台であった樫野埼灯台はレンズ台に小型の車輪を用いた転轆式回転装置だったが、レンズの交換と併せて同年に水銀槽式回転装置(1893年にフランスのブルデーユが考案)に変更された。1954年(昭和29年)5月には既存の一階灯塔部と灯籠部の間にRC造にて増築された。

また灯台周辺には当時灯台建設に携わっていた英国人が本国から運んできた水仙の花が植えられおり、秋から冬にかけて咲きそろう。

増築前の樫野埼灯台(『燈光』2008年10月号より)

 1890年(明治23年)9月16日夜、乗員650名を乗せたオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が暴風雨のため樫野埼灯台下の「船甲羅」で座礁沈没。灯台の灯りを頼りに泳ぎ着いた乗員たちは灯台に助けを求め、樫野埼灯台の職員たちが対応した。当時の灯台職員の規則には「破船ノ者ヘ住居等供給ノ事」として、難破船から灯台に救助を求めてきた者には住居を提供することが定められていた。灯台に助けを求めてきた乗員は63名で、樫野浦に着いた6名と併せて、エルトゥールル号の生存者は乗員650名のうち69名だった。

エルトゥールル号遭難慰霊碑
エルトゥールル号遭難時に救助の拠点となった灯台旧官舎。
オーシャン東九フェリー船上より(2023年10月25日)

参考
『燈光』2008年9月号、10月号 (燈光会)
『明治期灯台の保全』財団法人 日本航路標識協会

航路標識番号
[国際標識番号] 2889 [F5998]
位置 北緯33度28分17秒 東経135度51分43秒座標: 北緯33度28分17秒 東経135度51分43秒
所在地 和歌山県東牟婁郡串本町樫野
塗色・構造 白色・塔形石造
レンズ 第2等フレネル式
灯質 群閃白光 毎20秒に2閃光
実効光度 530,000 cd
光達距離 18.5海里(約34km)
明弧 109度から33度まで
塔高 14.6 m (地上 - 塔頂)
灯火標高 47 m (平均海面 - 灯火)
初点灯 1870年7月8日
(明治3年6月10日)
管轄 海上保安庁
第五管区海上保安本部


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