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伊王島灯台|長崎県長崎市

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伊王島灯台|長崎県長崎市 2021年10月17日訪問

 伊王島灯台は1870年(明治4年)7月30日に点灯を開始した、長崎港の出入り口に位置する伊王島に建てられた灯台。

 伊王島灯台は慶応4年に英国指揮官により伊王島灯明台(灯明台=古い日本式灯台)としてで布告されていたが、構造こそ鉄造の洋式灯台だったものの、その灯火は貧弱であったという。
 この初期の伊王島灯明台は、1865年(慶応元年)に長崎の外国商人と船長の5名の連盟によって建設の嘆願書が長崎奉行あてに提出され、1867年(慶応3年)にニコルソン・ボイド商会(のちにボイド商会)というイギリスの造船企業が図面を作成するも、1868年(慶応4年)に長崎製鉄所の鍛冶師「政平」によりボイド商会の図面をベースに4カ月の工期を経て建設された。
 ブラントンは、この地ですでに建てられていたこの伊王島灯明台について、「日本人の奇妙な工夫の才を示した珍しい例」として『お雇い外人が見た近代日本』(徳力真太郎訳/講談社学術文庫)に書いている。
 鉄造で建てられたその灯台はレンズや反射鏡などを用いた灯火器がなく、小さなランプの灯火を障子で囲んだ灯室からは光は全く遮られていた。なぜこのように灯室を薄暗くしているかと責任者に尋ねると、日本人はオランダ人の家でランプがすりガラスで覆われているのを見て、それが光を強くするものだと考え、灯室もすりガラスで囲おうと考えた。しかしガラスは入手できなかったので障子紙で代用したという。
 (平成元年(1,989年)に長崎県立図書館所蔵の古文書「灯明台一件」の解読により、ブラントンが語るこの灯明台がこの場所に建っていたことが判明した)
 
 ブラントンが鉄造で建設した4灯台(佐多岬、烏帽子島、羽田、伊王島)の中で伊王島灯台は最初に建てられたとされているが、すでにこの地にあった灯台の灯篭をブラントンが明治2年に改造させ、洋式灯台としてして使用できるようにしたというのが実情だという。

 明治4年7月の点灯開始に取り付けられたのは21個の反射鏡の灯火は、大正3年11月にフレネルレンズを用いたガス灯器に変更。昭和に入り、長崎に投下された原爆の被災により、昭和29年に鉄造の伊王島灯台は取り壊され、四角形のコンクリートに改築された。平成15年9月には老朽化により改修工事にあわせて、鉄造の旧伊王島灯台と同じ六角形の灯台に戻っている。

明治4年の点灯開始の前年に仮点灯されており、併設する伊王島灯台旧退息所に開設された伊王島灯台記念館には、仮点灯の日が初点と刻まれた銘板が展示されている。
(参考=『燈光』2005年9月 「明治の灯台の話」)

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伊王島旧灯台基礎石組
長崎への原爆投下で被災し、昭和29年に灯室を残し、灯塔部を四角形のコンクリート造でこの石組みの隣に建て直された。現在の伊王島灯台はその後平成15年に当初の六角形の灯塔に復元し建てられたもの。

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伊王島灯台旧退息所に開設された伊王島灯台記念館

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航路標識番号
[国際標識番号] 6330 [M5194][1]
位置 北緯32度42分9秒 東経129度45分7秒座標: 北緯32度42分9秒 東経129度45分7秒
所在地 長崎県長崎市伊王島町1丁目3240[1]
塗色・構造 白色・塔形・コンクリート造[1]
レンズ 4等
灯質 群閃白光・毎20秒を隔てて4閃光
実効光度 15万 cd
光達距離 20.5海里(約38km)
塔高 11.5 m (地上 - 塔頂)
灯火標高 64.4 m (平均海面 - 灯火)
管轄 第七管区海上保安本部
長崎海上保安部








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