山田 たかし
「ここだけの話です。恥を忍んで私の身の上をここに残しておくことにしましょう。私のとある『欲』についてです。 人間というのは、愛し愛され生きてゆくものです。これは、いつの時代、どんな場所においても覆ることの無い、人間という存在の根源的な真理だと思います。 でも、愛の志向は人によって種々雑多です。私の場合は、異性を愛する向きに落ち着いております。また、志向だけでなく、愛し方に関しても様々あるかと思います。これが、この方面についてが、私の場合ほんの少し特殊なのです。
諸君は、「もみじ饅頭」なる食べ物をご存じだろうか。カエデの葉の形をして、中に餡やらカスタード、チョコクリームやらがぎっしり詰まった、あの饅頭である。私は縁あってこの饅頭に出会ったのだがもう首ったけで、危うく主食の座に君臨しかけるほど食べまくっていた。だから、並大抵の人には負けないくらい、もみじ饅頭に関する知識を持っている。 そこで今回は、僭越ながら、もみじ饅頭の正しい食べ方を伝授させていただきたい。その食べ方は、大きく分けて三つある。 1つ目は「生にて食す
序 家が少し揺れて、聞いたことのあるミュージックホーンが流れてくる。 揺れが止んだ。また耳に高音が走り始めた。畳みかけたシェフパンツを膝の上に置いて座ったまま、目の前の姿見鏡を何ということもなくじっと見つめる。鏡の向こうの私も、私をじっと見つめている。 その眼に映る私は、どうやら涙を流しているようだった。その顔を見て、大事な何かを思い出せない、ということを思い出した。こういう記憶の覚醒は、歯間に食片が挟まってしまった時みたいにもどかし
遂に軍勢が東国を出立する日になった。私が所属する搦手軍は、箱根の山々の北を通り、伊豆の足柄峠を越えて駿河の沼津の方面へと進む道を取ることとなった。沼津まではめいめいで向かうことになったから、相模の屋敷から、庭に咲き始めた梅の花を手折って、する墨に乗って出発した。 あの日、鎌倉殿からする墨を賜ったあの日、豪奢な厩に入り、改めてする墨と対面した。その時はすぐ隣の「生けずき」が頂けなかったことに腹の虫が収まらなかった。本当に私の本意や熱意が伝わっていたのか、疑問だった。「度重な
頃は寿永三年。鎌倉殿から、木曽義仲殿の上洛以来の横暴を止めよという命が下った。鎌倉殿からすれば、義仲殿は従兄弟にあたるわけで、軍勢からもどよめきが起こった。しかし、棟梁の命令は絶対である。源氏方の武士として、従わない訳にはいかぬ。 私は、搦手の軍勢として、九郎義経殿のもとにつくこととなった。搦手は南の宇治の方から回って京へと向かう。逢坂の関を越えて、京の東側の粟田口から上洛する大手に比べれば距離が長い。それに加えて、西国一の懸河である、宇治川を越えねばならぬことが何よ
こんな書状が届いた。 ――私は彼の、無造作に前髪を散らし、眼に涙をためて俯いて座っている様子が今でも忘れられません。この男はいきなり、「僕には君を幸せにできない」と言ってきました。彼は少し前から世に言う「浮気」をしていたようなのです。 彼とは、大学に入学した直後に入会したバドミントンのサークルで出会いました。同じ学部で、趣味や音楽の好みが似通っていたこともあり、すぐに意気投合いたしまして、気付けば1年半を共に過ごし、同棲生活を始めておりました。 彼の言葉は、あまりに
結局、二人の再会は叶わず、涙に暮れたまま横笛は往生院を後にした。 滝口はその後ろ姿を見届けながら、使いの者を呼んだ。 「ここ、往生院では世離れした静けさの中、勤行することが出来ていました。ですが、こうして彼女に今の住まいを見られてしまいました。今回こそ、自分の想いを抑えることが出来ましたが、次彼女がやって来た暁には、遁世者の戒めを破ることになりかねません。ですので、ここを離れることにいたします。短い間ではありましたが、ありがとうございました。さようなら」 こう呟いて、
宮中の外に出るのは出仕し始めの頃以来であった。 春なりはじめの梅津の里、横目に見つつ、過ぎてゆく。梅の香りも今はただ、慰みにさえ、つゆならず。二人で見ていた月明かり、今は一人で眺め行く。桂の川の水面月、何故かぼやけて朧気で。大堰の川に行き着けば、流れる水は涙のよう。並々ではない恋煩い、一体誰のせいだろう・・・・・・。 横笛は何とか嵯峨の山に着いた。往生院とは聞いたものの、どこの坊とも分からなかった。ただ、行ってみればきっと分かる、という僅かな期待を胸に、往生院の門を開い
その頃横笛は、今日も今日とて宮中で忙しく働いていた。 滝口が悄然れていたあの日以来、横笛は片時も彼の事を忘れずに待ち続けていた。だが、彼がやって来る気配は一塵も無かった。 ――悄然れていたし、身の上に何かあったのではないか。いや、もしかしたら違う女の人のもとへ行かれたのかもしれないわ。いやいや、あれだけ一途に私の事を思ってくださって、言葉にもしてくださったのだから、それはないわ。でも――。横笛の思いは、歯車のように回り続けた。日々の物思いは、積もり積もって、僅かな疑念さ
翌朝、滝口は身なりをいつも以上に整えて出仕した。遠目に見える帝の竜顔や、同じ詰所で勤める同僚の顔を見て、涙が数行流れた。 無事に最後の仕事を終え、その日の夜も横笛のもとへと向かった。彼女はいつもの通り部屋に迎え入れ、今日あった事を語る。滝口は笑顔で返事をするが、朝から別の事に頭が捕らわれていて話が殆ど入ってこなかった。 別の事、とは、昨日の父の勘当に関しての事だった。彼は、想い人と添い遂げられなくては浮世で生きていても仕方が無い。しかしそちらに進んでしまっては、男手一つ
高野の山には金剛峯寺という、弘法大師が開いた真言宗の総本家たる寺がある。そこに、頬はこけ、手足は牛蒡のように痩せ細った、あらまほしき一人の僧が修行をしている。 彼の名を、滝口時頼という。彼は今や人々から「高野聖」と呼ばれ、尊ばれている。何も、最初からこのような呼ばれ方をしていたわけではない。そこには深い所以があるのである。 滝口は遁世前、宮中の警備役として出仕していた。あの平治の乱の立役者、小松の内大臣、平重盛にもお仕えする者であった。そんな彼は、宮中での仕事の合間を
「独白」というのは、『日本国語大辞典』によれば、「①芝居で、登場人物が心中の思いなどを観客に知らせるために、相手なしで、ひとりでせりふを言うこと、また、そのせりふ。ひとりぜりふ。モノローグ。②転じて、ひとりごとを言うこと。また、そのひとりごと。」とされています。ここでいう「独白」は概ね②にあたるかと思います。まあ、読者の皆さんの前で相手なしに私がひとりで語るわけですから、①にもなることでしょう。今回は、山田さんにこのような機会を頂きましたので、私の生の心中をのべつまくなく語っ
この話は私山田がアルバイトをしている和食屋の店主から聞いた話である。今から三〇年ほど前のお盆の頃の話だという。 店主は夕方の営業を終え、その時一緒に営業していた店主の弟の一郎と、従兄弟の直樹と共に店の客席で麻雀をしていた。夕方の営業が終わったのが午後十時頃で、そこから十局ほど打っていた。その局では店主が立直をツモって上がった。次局を準備しようとしていると、「こんばんは。」と出入り口の方から声が聞こえる。すでに日付はまわっていて、時計は丁度午前二時を指していた。店主が確認しに
夏休みの何でもない日の話である。その日は雨が終日降っていた。 私は、起床してからすぐに、小学館の日本古典文学全集「平家物語」の巻五を読んでいた。源平合戦の様々な戦いのうち、「富士川の戦い」辺りの話である。この巻は、「文覚」という不思議な僧が登場したり、平家滅亡への微量ながらも不穏な雰囲気が漂ったりしていて、なかなか面白い展開であったため、いつもより多く読み進めてしまった。 古典文学を読むのには、結構集中力というか、根気が必要で、結構体力を要する。現代とは文法体系が異なる
こんな夢を見た。 四辺(あたり)一面、暗闇が広がっている。時々、どこからともなく微かな声が聞こえてくるばかりで、それも何を言っているのかが判然としない。まるでトンネルの中で叫んだ時に聞こえるような声である。ただ、なんとなく賑やかな声だということ、それだけは分かっていた。 自分は心細くなって、その声のする方へ叫んでみた。しかし、何も返ってこない。そもそも自分から声が出ていたのかすら不確かであった。ただ不定期に微かだが、賑やかなあの声が聞こえてくるだけである。 今度はひた
※この作品を読まれる前に夏目漱石大先生の著作、「夢十夜」を読まれることを強くお勧めいたします。特に「第五夜」に関連する部分が多いため、それだけでも読んだ上で、この作品を読んで頂けるとより楽しめるようになっております。 ――はっと目が覚めた。 何でも余程酷い夢を見た後のようで、寝汗をびっしょりかいていた。内容こそ思い出せないものの、悪夢を見たという感覚だけが残り、もう一度眠ろうとしても、なかなか眠れない。 自分には思いを通わす男がいた。その男は主への忠誠心が厚く、何事に