合同会社作成へのみちのり

画像1

 1年ぶりになったけど、自分の会社をつくってみようと思って、もう一度計画を立てることにした。ゆうてこの相関図を担うのは私ひとりですが。以前からの大きな変更点は、開発事業部と経理・総務部を同じにした点。

 最近、坂口恭平さんの「生きのびるための事務」を読んで、ん?そしたらこの二つをわけたらダメだな?と考え直し、あわせてみた。よしよし。それから、具体的な内容が決まってきた。ガイドブックやガイドツアーの会社にするぞ。ライフスタイルイメージとお金の流れをキーワードに、ここで①②③の部署を横断しながら考えてみよう。

 憧れの人は、まず清水幾太郎さん。社会学者、思想家、ジャーナリスト、翻訳も。書いている文章が呼吸するように入ってくるのはなぜか、をすこし調べてみようと思う。幸い、古本でいっぱい買っている。よし、今からとってくる。

 いつだったか手に入れた、いなほ書房の『清水幾太郎研究』第一号をパラパラめくってみると、そこには医者を目指して独逸学協会学校に入ったと書いてある。たしかその後、日本社会学会の機関誌で外国文献を紹介していたとあった気がする。そうだ、『論文の書き方』に書いてある。ドイツ社会学文献の紹介をしていたらしい。それからオーギュスト・コントという人を研究した論文が認められたらしいが、どんな研究をしたのか調べてみると、社会主義に興味を持ってから、コント哲学を机上の空論ではなく現実の社会問題に対してぶつけてきたようだ。なるほど、ここが私が惹かれている部分かもしれない。

 とりあえずその後の人生をみてみると、大学を卒業してから新聞での執筆者として活動していたという。それからこの仕事はその前の学会誌での執筆よりも高額な給料が手に入ったらしい。確かに今の私も、むしろ学会誌に掲載される機会への参加権を得るために学会費を払っているようなものなので、この部分は想像できた。まあなんだとしても、新聞への執筆で生活費を稼いでいたことがわかった。

 憧れの清水幾太郎さんが、文章で生活していたことがわかったところで、いつ長い文章を書いたのかをみてみた。最初が卒業論文、その後その一部が『思想』に二回に分けて掲載、その二年後には書物になっている。それからまた2年後、『社会と個人』上巻を書いている。ここで卒業論文の長さが原稿用紙200枚だったのに対して、いきなり600枚以上書いている。卒業論文から数えて4年後には3倍の長さを書ききる体力を身につけているわけだ。よし、私は今卒業論文を書いてから数えると3年目なので、この二年でそれくらい鍛えたら、清水幾太郎さんと友達になれるということにしておこう。

 なんだっけ。そうだ、文章で生活していたということ。ここに注目して今の私と比較すると、二つくらいいえる。ひとつは、収入について。今の私は奨学金の収入(借金)で学費を支払い、そこで得た自分の思想とかを、またお金を払って学会誌に投稿しようとしてた。そりゃお金は増えないし、貧困は進むわけだ。翻って清水幾太郎の場合は表現することをお金にかえている。坂口さんが人間は経済だというように、きちんと自分が経済だということをわかっているのだと思う。だとするならば、私も学者間での狭い承認のためだけに表現するのではなく、もっといろんな表現の場をもっていたほうがいいな。特に清水幾太郎はドイツ社会学の文献紹介という、自分がドイツと日本の媒介者(メディア)になっているわけだから、媒介することをやってみたほうがいい。ということで、次にすべきはどんな表現を行うかを考えるということになる。

 そこで、ふたつめに入る。それは表現の仕方について。清水幾太郎さんは、学会誌に書くときと新聞に書くとき、読者が違うから使う言葉が変わるという。当たり前だろうけど、どこでどのように表現するのか、によって、書くことや目的は変わってくる、ってことになる。ということは、少し話は飛躍するけど、表現の形式が重要ってことにつながる。私がこれまでしてきたのは学会発表や招待してもらった研究会での発表などが主な成果となるけれど、それは「声」の発表な訳で、基本的にその場所にいる人にしか伝わらない。だからたまたま集まって発表をきいてくれていた人が、たまたま私の研究テーマに関心をもっていなければ価値は生まれないのだけど、先に述べたみたいに私の研究への原動力は現実の社会問題によって生まれている。だからこそ、同じ問題関心を持っている人にはどこにいたとしても届けたい。ということは、質疑応答の時間を含まずに、わかりやすい表現で、そして加えて複製技術を使って「文字」やアーカイブで記録に残る方法をとったほうがいい。その意味でいえば、ツアーガイドだけでなく、ガイドブックの制作もすることは、セットとして考えたほうがいいだろう。私のやりたいことが少しずつ輪郭を持ってきたぞ。なんか結構飛躍しているけどよしとする。

 学会誌以外で表現の場をもつこと、それからツアー・ガイドとガイドブックという表現を行うこと、このふたつが決まったので、とりあえず今日は今の時点で考えられるガイドたちの姿をメモして終わりにする。最初の話を既に忘れかけているが、あとで見返してみよう。

1.ガイドブック:自分の冊子をつくる。生活の紀行文、二次創作。もうむしろ紀行文的ガイドブックというよりもガイドブック的紀行文だ?うーん。多分重要なのは、いくつかいろんな本を読んで、今とは別の生活になりきってみる。例えるならシンディ・シャーマンみたいな。まずは、吉本ばななの『哀しい予感』を幹にしてみよう。あとは松浦理英子と森見登美彦の小説。こうしたら小説読むのも大事な時間ですからってなっていいね。

2.ツアーガイド:ひとと会う、ってだけではなくて、例えば誰か具体的な人を想像して、その人と喋るようになにかを表現したら、それはツアーガイドだと思うな。ある人の人生を、ある人に伝えるかたちを模索する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?