一回死んでみた話

あんまりの苦しさで目を開けた俺の視界に飛び込んできたのは‥靴だった。いや正確には靴を履いた足だ。
事態が飲み込めない俺は一生懸命に思いだそうとした。相変わらず死にそうなほどの苦しさは続いている。
そうだ。俺はここで首を吊ったんだった。俺が死んだ訳はいじめだ。クラスの連中から毎日毎日いじめ続けられて俺は正常な判断も出来ないほど精神的にも追い詰められていたんだ。
夜も眠れなくなるほど追い詰められた俺の取る道は一つしか無かった。いっそひと思いに死んで楽になろう。他にここから逃げ出す方法なんてあるはずもない。
いつのまにか俺の考えはそこから変えられなくなっていった。そしてついにある日、俺はロープを持ってこの木の下に立っていた訳だ。
枝にロープを縛り付けハシゴで木に登りながら俺はブルブル震えていた。そりゃ怖いさ。今までの人生で一番怖かったんだ。輪っかになったロープに首を通す時のいやな感触は多分ずっと忘れられないだろう。いやだ。こんな事。でも、今ここでけりをつけなかったらと思うとやめられるはずもなかった。
俺は目をつぶって一気にハシゴから飛び降りたんだ。そりゃもうひどい苦しさだったよ。でもこれでいいんだ。この一瞬だけ苦しめば楽になれるんだ。そう思っていたら意識が遠くなっていく。あぁこれでおしまいだ。薄れゆく意識中でそうかすかに思ったんだ。
ところが気づいた時俺は宙に浮いていたんだ。そして目の前には哀れな俺の身体いや元身体かな、がぶらんぶらんと風に揺れているのだ。確かに死んでいるのは俺だけどそれじゃあ見ている俺は一体誰なんだ?とまるでらくだのような疑問も浮かんできた。かわいそうに。俺は思わず手を合わせようとした。ところがその手が見えないんだ。確かに感触はあるんだけど透明で目には見えないんだ。どうやら俺は本物の幽霊になったみたいだ。そしてこの木の下にぷかぷか浮いているんだ。
それなのに、なのにどうしてこの苦しさは続いているのだろう。まさに死ぬほど苦しいんだ。
このままじゃいられないのでとりあえずアパートに戻った。歩くのでもなくふわふわと宙を飛んでいくのも変な感じだ。部屋にたどり着いた俺はベッドに倒れ込むと眠ってしまおうとした。しかしどうにも眠れない。ま、自分が生きるか死ぬかというか文字通り死んだんだがそんな時にのんびりと眠れるはずもない。どうせこれから嫌というほど安らかな眠りにつけるんだし。これからどうなるのかななんて思っているうちに眠っていたんだ。目を覚ますと悪い夢を見たなと思うものの昨日からの死にそうな苦しさは変わらない。そして、確かにアパートで寝たはずなのにここはあの木の下だったんだ。おっかしーなと思って部屋に帰って見たけれどまたここに戻って来てしまった。次の日もまた次の日も俺はここに戻っていた。ここから逃げられないのか?俺はある言葉を思い出して愕然とした。まさか、まさか地縛霊‥。そんな訳ないよな。きっと天国からのお迎えも混んでいるからなかなか来ないんだ。そうだ。お迎えが来ればきっとこの苦しさもなんとかしてくれるだろう。
呑気にそんな事を考えていた俺はふと気がついたことがある。誰かが見つけてくれたらしく俺の身体はもうここにはぶら下がってはいない。それより足元に花と線香が上がっていたんだ。一体誰が?言っておくが俺はクラスにそんな仲のいい者なんて考えつかなかった。お花は毎日新しくなっていた。不審に思った俺は木の根元で次の日待って見ることにした。
すると次の日の朝に歩いて来たのは‥クラスの菅原さんだった。彼女はこの春に転校して来た人で誰も友達がいないようで無口で控えめでいつも一人ぼっちだったんだ。菅原さんは新しい花を置いて線香をたむけるとそっと手を合わせた。そして涙を流しながら話した。二宮くん、どうして、 ううん、解るよ。クラスのみんなからいじめられてたんだよね。辛かったよね。私気がついても怖くて何も言えなかったんだ。ごめんね。
私が転校して来た時、誰も友達がいないそんな私に優しく声をかけてくれたのは二宮くん、あなただけだった。
それなのに何もしてあげられなくて。
こんな私じゃ何もできないけれど一人で思い詰める前にせめて話だけでも聞くことが出来たのに‥二宮くんを苦しみから少しでも救うことが出来たのに。ごめんね。そう途切れ途切れに小声で話しながら菅原さんは泣いていた。
俺は何も言えずにただ黙って見ているしか出来なかった。いつかお礼が言いたいと思っていたんだ。
次の日も菅原さんはやって来てくれた。また次の日も、こうして一週間が過ぎた頃から菅原さんの様子がだんだん変になってきた。顔色も悪くとっても具合が悪そうだった。 
そんな日が続いたある日のこと、俺がいつもの木の下に行くと変なおじさんが立っていたんだ。なんだろう、おかしなのがいるぞ。そう思うとおじさんは急に俺に向かって話し出したんだ。「いやー、地縛霊も大変ですねぇ。」えっおじさん俺が見えるの?と驚く俺におじさんはこう言った。
「こう見えてもわたし、天使なんですよ?その顔は信用してないですね。まぁいいや。私ね、あなたに成仏してもらうために、いや天使に成仏はないか。ともかくあなたを天国にお連れする方法を教えに来ました。天国はいいですよ。なんたって天国良いとこ一度はおいで酒はうまいしねーちゃんは綺麗だなんて歌にあったくらいですからねぇ」とおじさんの微妙なボケをスルーしながら俺は言った。「やっと迎えに来てくれたんですね。あなたが来てくれるのを首を長く、いや首を吊って待ってたんです。ボケはいいから早くその方法を教えて下さい。」「なあに、簡単なことですよ。あなたが幽霊になっていることを一定の間だれにも悟られないだけのことです。あなたの場合は‥あと5日ですね。簡単でしょう。そのかわりもしも誰かに気づかれたら話は別です。あなたは未来永劫この木の下で地縛霊として彷徨い続けるのです。いいですね?そう言うとおじさんは消えてしまったんだ。
俺は喜んでその日を待った。
そしていよいよ約束の日の朝、菅原さんはいつものように花をくれた後こんな事を話し出したんだ。「二宮くん、ごめんね。あの時はどうして自殺なんてしたんだなんて二宮くんをせめたりしたけれど、今度は私がクラスのいじめの対象にされちゃってね。私もうどうしたらいいか分からないの。もう我慢できない。だから私二宮くんのところに行くつもり。」そう言うと菅原さんは歩き出した。俺は黙って着いて行ったよ。
菅原さんはまっすぐ学校に向かうと屋上への階段を登っていった。そしてフェンスを乗り越えて持って来ていた遺書らしきものを置くと靴を揃え出したんだ。俺はそこにあった掃除用のゴムホースを手に掴んだ。
その時いきなり菅原さんは屋上からその身を躍らせたんだ。俺は慌ててホースをピンと張って空中でその身体を捕まえた。この時ほど死んで幽霊になって浮かべて良かったと思ったことはないよ。菅原さんは硬く目をつぶっていてそのうちいつまで経っても地面に落ちた衝撃が来ないことに不思議に思ったのか目を開けた。すると自分が空中に浮いていることに気がついて「どうして?私屋上から飛び降りて死んだはずなのに?」と声に出していた。
俺はおじさんとの約束もどうでも良くなって思わず叫んでしまったんだ。「菅原さんのバカヤロー!いくら辛いからって自分で命を絶とうとするなんて。逃げてどうするんだよ。だからって死んだって何にもいいことなんか無いんだ。自分の人生に向き合って前に進むしかないんだよ。逃げずに人生の力で道を切り開くしか無いんだ。」そう話しながら俺は泣いていた。「まぁ自分から死ぬ事を選んで逃げた俺が言ってもしようがないけどな。」
そう言って俺が笑うと菅原さんはこっちの方を見て恐る恐る言った。
「二宮くんなの?二宮くんだよね。」「あぁそうだよ。でも良かった、これで菅原さんまで死んだりしたらもう死んでも死にきれないところだったよ。」「ありがとう二宮くん、でもどうして私なんかを助けてくれたの?」俺はそれには答えずに言った。「菅原さん。いつもいつも綺麗なお花をありがとう。それにお線香も、それからこんな俺のために泣いてくれて‥本当に菅原さんには感謝しかないよ。でも‥それにしても菅原さんって思ったより重たいんだな。」俺がそう言うと、「バカ」と拗ねた顔の菅原さん。「バカバカバカ」と涙を流し続けて地面に下ろすと真っ赤になりながら走って行ってしまったんだ。
まぁ助かって良かったなと思いながらあの木の下に戻っていくとすぐにあのおじさんがやって来た。
俺はおじさんに言った。あの約束はもうやぶっちゃいました。だからもういいんです。俺はここでさまよい続けます。と後悔も無しにキッパリと言った俺におじさんはニヤニヤと言ったんだ。
「それではありがたき神様のお言葉を伝えます。あなたは自分が死んで幽霊になったことを彼女に伝えましたね。これは最も大きい罪です。だから罰を与えなければなりません。」そこまで聞いた俺は心のどこかで助けくれるんじゃないかと抱いてきたかすかな望みも絶たれたのだと思った。
おじさんは容赦なく続ける。「確かに罪は罪です。しかし、今回については他人の命を救うためにしたという事情に鑑み特例としてお咎めなしという事とします。」
えっと驚く俺に「このままじゃそれこそ神も仏もないと言われそうです。即ちまだ天国行きはまだ早いとしてもう一度人生をやり直してもらう事にするというわけです。ただし神様は二度目は許しませんよ。仏の顔は三度ですが神様はそんな悠長なことは言いません。もしもまたこの次にふざけた真似をした日にはそれこそ容赦なく地獄行きですからね。しっかり心して生きるように。」そう言い残すとおじさんは煙のように消えていったんだ。
こうして俺は生き返った。さすが神様、今までの諸々は全部無かったことにしてくれてあったんだ。
そして俺の普通の生活が戻ってきた。
俺はクラスで何を言われても怖がらずに自分の意思をはっきり主張するようになった。なんたって一度死んだ人間はどこか強くなれるらしい。死ぬことより怖いことなんてそうそうあるもんじゃないし。
そう言えば普通じゃ無い事ももう一つあったんだ。何を隠そう俺には可愛い恋人ができたんだ。そう。みなさんお察しの通り菅原さんだ。彼女も俺の自殺から諸々の記憶は神様によって消されたみたいだけどそれでも俺のことは転校してきてからずっとずっと気になっていたんだって。
あれだけ俺のために泣いてくれた人を好きにならない訳ないだろう?俺は思いを告白したんだ。菅原さんの気持ちはもうわかっていても本当に緊張したよ。清水の舞台から、いや木にかけたハシゴから飛び降りる覚悟っていうのかな。菅原さんは驚いていたけどやがてコクリと頷き「嬉しい」と言ってくれた。
本当に生きていて良かったなぁと嬉しくて仕方なかったさ。そして俺達はデートをした。と言ってもただ二人して散歩しただけなんだけど。
歩いていた菅原さんはあの木の下に来ると急に立ち止まった。「どうしたの?」と尋ねた俺に菅原さんは「ううん、なんでもないの。ただここでなにか大切なことがあったような懐かしい気がして‥」と答えたんだ。「思い出なんかもうどうでもいいだろう?これから二人で楽しい思い出をたくさん作っていこうよ。」俺はそう言ってこの手で菅原さんの柔らかい身体をしっかりと抱きしめたんだ。
       おしまい。

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