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🎨悟り(?)のつぶやき

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レッスン内容から拾い上げたピンポイント・メモ(技術面だけでなく、時に芸術家(表現者)全般に共通する思想的なことも。)や、絵に関しての気付きなど。
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先生語録

初めてレッスンで「サム・フランシスごっこ」着手し土台が出来た時、宿題で色重ねるのがもった…

まだまだ発展途上の渦中にいる私のギャラリーを観て下さった方の、一感想を載せておきます。ありがとうございます。大変励みになりました。

「選択した色・色・色が大変目に優しく、清廉で見ていてこちらの気持ちが良くなります。筆の運びも大胆で、決断力強く、見ていても楽しいものでした。」

絵…ですが、今「余白」の入れ方をあの手この手で練習中で苦戦してます。色で「描く・塗る」より難しい…。音楽の「休符」みたい…。私はむしろ「消符」と言い変えたいくらい「休むのでなく音を正しいタイミングであえて "消す" 」という「アクション伴うこと」と捉えてますが、アレと全く一緒。

(前稿の続き)…でもね、ピアノは楽譜に書いてあんのよ休符。絵は自分の目を信じて直感に問い正すしかない。…どこに?どんな形で?どういう風に?細く?太く?長く?短く?…どうすれば既に描いてる所が生きる?

…むしろ作曲する人の気分に近いのかもしれない…。

5月半ばに絵を始めて5ヶ月経とうとしてます。初めのうちは zoom レッスン時でも1人ででも、机の上で描いてました。最近はどちらも「床に這いつくばって」描いてます。なりふり構ってられなくて…。最中は使用中の絵の具チューブがそこら中に散らばってる感じ。

(前稿の続き)で、2階にいそいそとアトリエ作ってた私ですが、いずれ1階にします。「さて描くぞ、どっこいしょ」でなく、日常動きが多いリビングからひょいっと寄れた方が敷居が低いし、描けない日も無意識に目の端に入ってた方が、「身軽に描く身体」になりやすい…と気付きました。水場も近いし。

【絵のレッスン】備忘録① 主役(色)を生かすために 「あえて脇役(色)と "絡める"」 という考えを持つ。 目立たせようとしたあまり 「主役だけ分離して "浮いて" はいけない」。 音楽で言えばコンチェルト(協奏曲)かな? 【ハーモニー(調和)】大事 …ってのと似てるな…。

【絵のレッスン】備忘録②

仕上げ過程にある絵は、壁に仮に貼るなりカーテンにクリップ留めするなり、または床に置いて立って上から観るなり、何らかの方法で最低1m半は離れて眺める。(たまに目も細めて。) 近視眼的にでは気付かないことに気付ける。

【絵のレッスン】備忘録③

メイン色と差し色(=補色)の黄金比は「7:3」か「6:4」

描くことは「内なる声との対話」の繰り返し。起きがけの夢に西洋宅の地下室(倉庫)情景が出てきた。そうこれだ!心の地下室にどんなものあったっけ…って、ガサゴソ探しては地上に引っ張り出してる。外は魅惑的な娯楽だらけ。でも灯台もと暗しで、自分ちの地下にも思いがけない宝が潜んでる。

描くことと踊ることに共通すること…「体幹」…かな。つまり腹の力(=軸)。…描くのにも要るんだこれが…。時間の長短に関わらず、腹据えて向き合わないと、絵は正直だから全て出る。(「やっつけ」はすぐバレるのだ。)

描きかけの絵をジッと観てると、次の一手(色も形も手法も)を絵の方から語りかけてくれることがよくある。これは正に、ピアノ自由即興の演奏中、鍵盤に呼ばれるかの如く、次に鳴らす音に指が行くのと全く同じ感覚だ。

9月初回レッスンで言われたこと:

『人間だからモチベーション常時一定でなく、核にある "絵への愛情" 見失って力技に逃げる時もあるけど、それも必要な過程。内観を忘れずに。自分の "心" に正直に。やっつけ作業はすぐバレて人の "心" を打たないから、一筆一筆、誠実に向き合え。』

気のせいかな? ·····短くても長くても、絵に向き合う時間が少しでも持てた後は体内の穢れ?が浄化されて、なんだか "スコーン" と身軽になって自分の身体が「光の柱」みたいになった気分になる。