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「評価」とかいう、実体がなく傲慢なもの

なんかすごく強いタイトルになってしまったが…。

「何も指示をしないでも動いてくれる人」「1を言ったら10分かってくれる、察しがいい人」こういう人が嫌いじゃない人は多いと思う。それは、なぜだろうか。一緒にいて心地がいいから?なぜ心地がいいのだろうか。楽だから?

誰かの言う「優秀」には、「自分の手がかからずに済んで楽」が潜んでいることが多い。教育が仕事である、上司や教師は特にそうだと思う。

私は大学で教職を学んで、現在は子どもに関わる仕事をしている。何かを子どもに説明するとき「ここまで言わなきゃ伝わらないのかぁ」という場面はしばしばあって、そのラインは子どもによって変わる。本来そこに優劣はないし、単に私の説明下手な場合もあるが、私の指示通りスイスイ進める子を見ると心地が良くなる。できる子だなぁ、とすら思ってしまう。そしてハッとする。「私がやってほしいことを察してやってくれる=優秀な子」になっていないか。私にとって都合のいいお利口さんを生み出していないか。

学生の頃の私といえば、中学での成績はそこそこ。高校に至っては悪かった。でも、たぶん優等生だった。委員長や文化祭の実行委員など、誰もやりたがらない面倒な役をよく引き受けていたからだ。もちろん先生たちからの風当たりは良かった。私自身、それで得をすることも知っていたし、味を占めていた部分もある。でも、他の委員の参加率が悪く、休みの日にたった1人で準備をしたことなどザラだった。やっぱり、損な役回りでもあるのだ。行事の成功を見て、教師たちは喜ぶ。ほんとうに私の頑張りを見てくれただろうか。見てくれていたとして、私は先生にとって、大人にとって都合がいいだけじゃないか。優等生ってなんだろうか。

おそらく、優秀かどうか、というベクトルは、評価する側の人にとって都合がいいかどうかでくるくる変わる。 

たとえば、どんな職場でも本部vs現場といった構図をよく見かける。これがそれぞれの役割だし、真っ当な闘争なのだろうと思う。たとえば、新卒採用でエリアマネージャーになった人がいたとする。その人より10も20も歳上で、経験豊富な現場の人たちは、世間知らずのペーペーに何がわかるといった感じだ。案の定「現場のことについて相談や提案をしても話が通じず、改善がない」「言われたことを上から下に持ってくるだけ」という不満が出る。でも、おそらくエリアマネージャーとして、この新卒の人は優秀なのだろうなと思った。そもそも、新卒でエリアマネージャーを採る時点で、企業はこの展開を狙っていたんじゃないか。企業は端から、上層部から言われたことを現場に下ろす連絡係、矢面として機能する人を探していたのだ。商売のことは全く詳しくないが、本部はビジネスとして成立するかどうかのボーダーラインを常に見つめているから、そのラインを揺るがすような声に聞こえないふりをするのが得意になるのかもしれない。だから、本部や現場との調整役に置く人間は、現場の人間への共感力に乏しい方が都合がいい。つまり、知識も経験もあって、現場に聞く耳を持っている心優しき変革性タイプは、本部からしたら困った存在というわけだ。反面、その手の人は現場からの人気は高いかもしれない。ただ、ここでの圧倒的な評価者は上層部。採用の時点から評価の段階まで、エリアマネージャーは上層部の言うことを聞いていればよいという線路の上を走らされている。

いろいろな例を出してまで、やっぱり言いたいのは「評価」がどれほどアテにならないか、ということだ。学校でも職場でも、評価する際にどんな項目があろうが、どれだけシステマティックになろうが、評価の目的そのものが資本的で人間的であると思う。

でも、人間に生まれた以上、人と関わらざるを得ない。1人で生きてはいけないから、私たちはどうしても評価され続け、し続ける。ただ、評価された時、する時に、立ち止まって考えようと思う。その評価が誰かにとって、自分にとって都合がいいだけのものかもしれないことを。その評価は、その人が、私が生きる上で、たった1つの要素でしかないことを。

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