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ペンソー、カムバック 2023/07/24

日記

・Apple Pencil、完全に紛失した。

・昨日までは「見失っちまいました……」だったけど、今日から正式に「紛失」に格上げされた。部屋から出してすらいないはずなのに、どこをどう探しても見つからない。磁石で変な場所にくっついている可能性も考えて、部屋中のひんやりした部分を探してもない。

・iPadのデータを調べたら最後に使用したのが先週の月曜日で、それ以降は一度も使用されていないらしい。私の記憶でもその通りだ。先週の月曜日以降、iPadを開くことすらしなかったし、もちろん部屋の外に持ち出すこともなかった。しかし、部屋の中にはない。じゃあどこに消えた? Apple Pencilはどこへ消えた?

・「なにかの拍子にゴミ箱に落ちてそのまま捨てた」が現実的に考え得る最悪のパターンだな。絶対にあり得ないとは言い切れないライン。

・なんでこんなに物を無くしてばっかりいるんだろうな。少し目を離した隙に、いや、凝視していても無くなっている。原子のレベルで問題が起きているとしか思えない。



・中学生の時、先生が「人のことは『嫌い』ではなく『苦手』と思う方が良い」と言っていたのが強く印象に残っている。

・「嫌い」と切り捨ててしまったら関係はそこで終わりだけど、「苦手」ならまだ別の側面からも見てみようと克服できるかもしれないから、ということだった。人を好き・嫌いの尺度ではなく、得意・不得意の尺度で測るのだ。

・ただの言葉遊びだと言われればそうなのだけど、当時の私は確かに!と膝を打った。今でもその気持ちは忘れないようにしている。

・これは「嫌い」を「苦手」にという話だけど、一方で逆もあるはずだ。「苦手」を「嫌い」と言い切ること。

・例えば「人と目を合わせるのが苦手」を「人と目を合わせるのが嫌い」に言い換える。得意・不得意から好き・嫌いの尺度に移す。すると、人と目を合わせるのが「できない」ではなく「やりたくない」に変わる。「できないんじゃなくてやりたくないんだ」なんて捻くれ者の言い訳にしか聞こえないけど、一定の効果はあると思う。例に挙げたような社会的なマナーや規範の場合は特に。

・「箸を正しく持つのが苦手」ではなく「嫌い」だと言えば、意志のもとで正しく持っていないという強いニュアンスになる。それに、「できない」のではなく「やりたくない」のだから矯正する必要もない。

・社会規範に適応できないことを悩みすぎるくらいなら、言い訳がましかろうが、「嫌いだからやりたくないんだ」と向かないことを切り捨ててしまっても良いと思う。「空気を読むのが苦手」なのではなく「空気を読むのが嫌い」だから矯正もしない。する必要がない。そのくらいの図太さで自分を押し通せたら何か楽になるものがないかな。ないか。


・Apple Pencilさん、早く出てきてください。お願いします。


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