偽善をする

むしゃくしゃする。
無性に落ち込んだりする。
怒り、もしくは無気力。どちらもプラスの状態ではない。

何か原因がある場合もあり、それがどうしようもないことである場合も多い。

別に特別プラスの状態になりたいわけじゃない。プレーンな、フラットな状態がいい。鼻歌が歌える程でなくても、穏やかな気分ならばそれで最高。少なくとも、ハッキリと自覚できるほどマイナスでいたくはないだけ。

こういう時に、やる事はひとつ。

「偽善」

不景気な顔して募金箱を探して回り、財布の小銭をジャラジャラと投入。

いつも行く店や企業HPから店員のめちゃ褒め称え文章をご意見フォームに入力して送信。

ほんの些細な理由をひねり出して誰か人のために贈り物をプレゼント。

手当たり次第のもの全てクソ食らえと思ってる心中で
世の中に悪態をついてむしゃくしゃしている状態で
募金箱のあの無遠慮なジャランジャランと言うデカい音を聞いたら

でも、やっぱり、心の中はちゃんと、照れる。

照れる感覚が、このおどろおどろしい胸の中にドカンとやって来て、めちゃくちゃおかしい気分になる。混沌だ。カオス。

もう一つため息が出たら死にたいと呟いてしまいそうに何の気力もない状態で、一生懸命この前の店員の様子を一挙手一投足思い出し文章を推考すれば

でも、やっぱり、脳は一生懸命に、働く。
優しい文章が出来ていく、優しい文章を見て、やはりおかしい気分になる。カオス。

誰かのプレゼントも、探し始めると身体は真面目に足を動かす。あればどうだこれはもしかしてと、ちゃんと、ちゃんとしてしまう。

自分のむしゃくしゃや無気力は、その間少しなりをひそめ、上手くいけばそのうちどこかへ行く。まあ、そうでもないときもあるけど。
なんとなく「やる気が削がれる」ように「マイナス思考が削がれる」のだ。

そりゃそうだ、世の中を殺してやりたいほどむしゃくしゃしてる人間は目の前に捨て猫がいたとして迷わず瞬時には拾わないのだ。なのに身体が勝手に瞬時に拾ったらどうだ、もう、戸惑って、おれはもうそのときそんな優しい気持ちだったってことにしないとつじつまがあわないんだ。だから、やったことの説明をあとからつけようと、心が変わってしまう。チグハグなのがストレスだから、それを解消しようとしてるだけだ。それを利用して、ストレスフルな心にまた別方向から妙なストレスを与えて心を変えてるんだ。なんだこれ。

最近はこのやりすごし方が私の中で流行っている。

このやり方が、星のみかたに似てるなぁ
といつも思う。

一等星でない、等級の低い星を裸眼でジッと見つめると消えてしまうが、ほんの少しずらして周囲の空を凝視したほうがかえってその星が良く見える。(錐体細胞とかのあれ)

そのものをジッと見てあげてないことで、なんかまあそれそのものがよく見えるやつ。

いや、共通点なんて無いのかもしれない。
見たい気持ちと、目の動きと、その葛藤感やチグハグ感がなんか、これを彷彿とさせるだけかもしれない。

ちゃんと取り合っちゃダメなひと、もの、事柄って、世の中にあるような気はしていたけど
自分の中にもあるのか。

なんか怖いな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?