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11 いらない命はない 赤塚さんへ

いらない命はない 赤塚さんへ

小さいときに楽しいことがあった日には、おふとんに入ったら、私ね、母にいつも「動物園に行ったね」「象がいたね」「おむすび食べたね」と言いました。母は一緒に行ってるから知ってるのだけど、うなずいて髪をなぜてくれながら、「動物園行ったね」「そう象いたね。きりんもいたね」「おむすびおいしかったね」とそのたびに、優しく返事をしてくれました。
だから、私、赤塚さんに言いたいよ。
「同窓会あったね」「いっぱいお友達が来てくれたね」「楽しかったね」「いっぱいおしゃべりしたね」「ギターとウクレレと弾いて楽しかったね」って言いたくなるよ。だって、すごく楽しかったもの。

同窓会というのは、イスラエルツアーの同窓会でした。日本から出かけた29名のうちに、24名が日本全国からモナの森に来てくださって、なんと楽しくて、そして不思議な時間だったことでしょう。
一人ひとりが旅の話をして、旅の後の話をしました。旅の後、みんながそれぞれ何かに気がつき、何かが変わったとお話しされていたことが印象的でした。そして、二日間、イスラエルで一緒だった時間と同じ、温かいゆるやかな時間が流れていることも、不思議でした。

それから、みなさんが帰られて、そのあと赤塚さんと私の「魔法の文通」を200冊も買ってくださったグループの方が来てくださって、泊まられた二日間があったので、赤塚さんとひろこちゃんとリカちゃんが4日いてくださったのです。うれしい。

そしてね、何からお話したらいいかわからないけど、みんなとおしゃべりしているときに、急にはっきりと自分の気持ちがわかることがあるなと思うのです。

ねえ、赤塚さん、後半の二日でお若いみなさんとおしゃべりしていたときでしたね。「仏教などの生まれ変わりという考えは私は好きではない」と少し強い口調で話したことに、自分自身がびっくりしたのです。赤塚さんもちょっとびっくりされたかもしれないですね。
あのときに、私が40年も前に養護学校の教員になったばかりの頃のお話をしていたのです。その頃は今とずいぶん様子が違っていて、障がいを持っている人は、社会から隠されている時代でした。お子さんが産まれて、生きていることも隠されていました。それは、ご両親が隠したくて隠している訳ではなかったと思います。社会から子供たちのことを守っておられたのだと思います。
「さらしものにする」という言葉がありました。それから、障がいを持っているお子さんが生まれると、「前世でよほど悪いことをしたのだろう」「両親の業(ごう)が深いからだろう」などとそんなうわさをする人もいました。
 「業が深い」とは、「前世の罪深さにより、多くの報いを受けている」という意味です。
もし、自分が、前世で悪いことをしたから、障がいがあるのだと言われたり、結婚した先から、「うちの家計にはそのような人が生まれる理由はありません」とお嫁さんが言われたら、どんなに悲しいことでしょう。どんなにつらいことでしょう。

私はその当時から、その考えは違うと叫びたい気持ちでした。我慢ができなかったのです。前世の行いのせいだと言う考えは、多くの人を苦しめます。そして差別も生まれます。
小さい頃から花や虫ばかり見て大きくなった私は、みんな大切、そしてみんな平らかなんだと感じていました。
誰もが、いつも自分を好きでいていいし、そうであるべきだとも強く思ってきた気がします。

多発性硬化症で亡くなった大切な友達の雪絵ちゃんは「私の病気や障がいには意味があるの」と言いました。
だから、この世界に生きることは修行で苦しいことだと言う考えもしっくり来ません。私たちはいつも守られて生きている。だからいつも幸せ、どんな時もいつでも誰でもみんな幸せ。心からそう思えてならないのです。
そんなことがあって、私はそのときに、「輪廻転生」という仏教の考え方がしっくりこないし、好きでないと言ったのでした。

そして、そのあとグループのみなさんが設定してくださったズームの会で、赤塚さんに、サムシンググレートのお話をしたのでしたね。

『魔法の文通』(モナ森出版)のときに、赤塚さんが書いてくださった言葉の話をしました。
赤塚さんはこう書いてくださっています。
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かっこちゃんは、「心底、サムシング・グレートの存在を信じるということはどういうことでしょうか?」と書いてくれました。
 僕は思います。「信じる」とは、常に「信じられない」と一緒に存在するのだと。
 だから、「信じる」は「信じられない」と同じです。
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私はそのことをあれからずうっと考えていたのです。
そして、サムシング・グレートの存在は、たとえ誰が信じるとか信じないとか言ったとしても、そこに確かにあるのだと思いました。
私たちは、DNAに書き込まれた情報によって、必要なものが体に設計されて作られ、そしてサムシング・グレートが休みなく私たちに情報を送ってくれて、私たちは息をして、心臓が動き続けて、血液がめぐり生かされている。村上先生は、「遺伝子を読む人と書いたひとがいたら、どっちが偉いかと言ったら、それは、書いた人が偉いに決まってる。僕はその大いなる力を、サムシング・グレートと呼ぼうと思いました」とおっしゃいました。
信じるも信じないもなく、私たちはいつも確かにあるその大きな力に守られて、太古の昔から自然が営みを続けてきたのです。サムシング・グレートの考えは、全ての人が大切で、自分のことを好きでいいし、他の人を羨ましく思わなくてもいいし、恨む必要もないという考え方だと思います。

赤塚さんがそのあと私に「話してほしいな」と言ったお話がありました。
神戸である方が、たくさんの人を殺してしまった事件があったのです。そのころに講演会で4年生くらいの男の子がある質問をしてくれたときの話です。

そのとき、その小さな男の子が、質問があると手をあげてくれました。まっすぐに私を見て「人をたくさん殺すような人は産まれてこなければよかったのでしょうか?」と聞いたのです。私はびっくりしました。こんなに小さな子が、ずっとそのことを考えていたのだろうかと思いました。
私は、こんなふうに答えました。「あなたの身体の中でいらない場所はありますか?」男の子は私がそれだけ言っただけなのに、深くうなずいて、にっこり笑って「わかりました。ありがとうございます」と答えてくれました。
何か男の子と一緒に分かり合えたと言う気持ちになって、心からうれしかったです。
そして、もうひとつ、サムシング・グレートが目や手や足や心臓など全て必要なものを作るように、この宇宙にも必要なものだけを作っている。誰一人として、産まれてこなかったらよかったという命はないといっそう強く思いました。

ねえ、赤塚さん、不思議です。まるで赤塚さんが作ってくださったストーリーのように、お話が進んでいった気がします。

赤塚さん、そしてね、赤塚さんがギターを弾いて、私がウクレレを弾いて、リカちゃんとひろこちゃんが聞いてくれて、赤塚さんが歌って、コードが五つあると、「かっこちゃん大丈夫か?(ウクレレ弾ける?)」と聞いてくれるたびに「私を甘く見てはいけません」と自慢げに私が言いながら、みんなで笑って何曲も何曲も弾いたり歌ったりしたのは楽しかったね。楽しかったね。またきっと一緒に歌を演奏しようね。きっとしようね。   かつこ

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『魔法の文通』(モナ森出版)の続きです。


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