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103 まずは行くこと、行って感じて考えること。 赤塚さんへ

ありがとう赤塚さん。

ウクレレの会に参加くださってありがとうございました。すごくすごく楽しかったです。シルクビートの方が、赤塚さんに歌いにきてもらえないかと聞いたのもうなづけます。涙がいっぱい溢れました。あのときに、あの歌を、本当にありがとう。

ねえ、赤塚さん私ね、この前、えっ!?って思ったことがあったのです。自分の中にある偏見かもしれないし、なぜそんなふうに思ってしまったのだろうということを考えている最中なのです。何かというとね、赤塚さん、神学を教えておられる先生にこの前出会いました。素敵な方でした。イエス様の研究もいっぱいされていて、お話も本当に謙虚で素敵でした。

私が「今度四度目のイスラエルに行きます」とお話したら、「僕も、一度だけですが、聖地を訪れたことがあります」ってそう教えてくださいました。

私はすごくびっくりしたのです。一度だけということに。

聖書のこと、神様のこと、イエス様のことを考えるときに、もちろんそこに行かなくてもできるのかもしれません。でも、赤塚さんは何度も何度もイスラエルを旅されて、それこそ40回近く行かれていて、それでも、「僕は何も知らない。何もわかっていないということがわかっただけだ」とおっしゃる。

その先生が悪いわけじゃないです。もちろん、聖書のことで、きっといろいろな研究方法はあると思います。それでいいのだとも思います。

それなのに、私の思い込みだけど、その場に行って初めて感じられることがいっぱいあって、それで、もっともっと知りたいって思っていくものじゃないのかなあと勝手に思いました。

そして、一度も訪れていなくても、いろんな研究はできるだろうけれど、やっぱり行かなくちゃなあって思ったのでした。

エジプトに初めて行ったときに、街をうろついている犬が細くて、顔が長くて、耳が大きくて、アヌビスにそっくりだと思いました。

エジプトの方に、あの犬の名前は何ですか?と聞いたら「ファラオ・ハウンド」の一種だと教えてくださってびっくりしたのです。私はエジプトに来て、昔から延々と続いてきたエジプトの歴史の中に今居られるのだろうかと感じて、涙がこぼれました。

ねえ、赤塚さん、イスラエルに最初に行ったときに、連れて行ってくださった貯水池は、本当にすごかった。水がほとんど降らないイスラエルで、たくさんの農作物を作って暮らしている智慧は、山の上にあるマサダでも感じました。

マサダは、どちらを見ても絶壁の岩の上に建てられていて、そして見渡せばどこもかも砂漠なのです。だけどマサダはすごいのです。遠くエルサレムでかろうじて降った雨水が地下水となって流れるその水を引き込んで、なんと要塞にはサウナ風の大浴場まであって、それを見学することができました。

そこで赤塚さんのお話を聞くのです。

紀元1世紀、ローマ帝国の支配に抵抗するユダヤ人がこの城に立てこもって、なんと3年半にわたり籠城戦を展開したのです。しかし、西暦73年にローマ軍に突入され、最後には城に残っていたユダヤ人1000人ほどが集団自決しました。赤塚さんのお話はまるで目の前にその様子が繰り広げられているようなのです。40回近く、赤塚さんがイスラエルに通って、感じてこられたからこその迫力で、私たちはいろいろなことを考えることができるのだと思います。

生き残ったのは、2人の女性と5人の子供だけだったともいわれています。

過酷な自然の中だからこそ、あんなにも厳しい戒律というか契約が必要だったのかということなど、あそこに行ってみたからこそ、いっそう私には考えることができた気がしています。

やっぱりまずは行くこと、そして一度でなくて、一度目で感じたこと、考えたことを二度目にまた考えることができて、そして、その仲間が自由にいろいろなことを考えてもいい、考えることを許す仲間だったら、その度は最高だと思います。

私ね、やっぱり一緒にイスラエルに行きませんか?と誘いたくなります。今だからこそ、今しか感じられないことがあるはず。そしてイスラエルは絶対に、赤塚さんと平和君がいてくれる旅がいい。そして、私も一緒に考えたいと思うのです。

イスラエルに最初に行ったときに書いた『宇宙の約束』の改訂版、今度は二人の名前で、9月の旅の前に出版します。

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