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99 ヨルダンとイスラエルの旅と、ベトナムの旅 赤塚さんへ

今日は病院に来ています。いえ、たいしたことないのです。なぜか胃がしくしく痛んで、それが半月くらい続いて、夜になると痛むのです。病院は怖くて、注射も怖くて、採血もなにもかもが怖い私は、なかなか来れずに先延ばしにしていましたが、夜中に痛いのは辛いので、やっぱりこようと思って、今、待合室にいます。
そんな中で、赤塚さんにお手紙が書けるのは心が落ち着けてしあわせです。
(結局は胃が痛いのは、たいしたことはありませんでした。ほっとしたら、すっかりよくなりました)

赤塚さんとの文通は99になりました。本当にたくさんの文通がこうして続いていることは奇跡のようです。

私にとって、赤塚さんのお手紙を読ませていただいて、考えたり、感じたりするのは、とても大切な時間です。

前の文通で、赤塚さんが台湾へ行かれたと聞いて、私も旅がしたくなりました。それから、海外の友達から、大きい旅をしてもらえないかと頼まれたけれど、遠くて遠くて、そして、旅を主催したことはほとんどなくて、どうしたものかなあと思って、最初は割と近くのベトナムの旅を始めて主催してみようと思ったのでした。
そうしたら、赤塚さんが「僕も行くよ、ひろこも行くよ」と言ってくださったとき、私は自分でも驚いたほど、その瞬間に、ぽろりと涙がこぼれたのです。ひとりでできるかなと不安だったこともある。でもどんなときも、いつもお二人がいてくださると思って、私は心からほっとして、私の人生の中盤からはずっと赤塚さんとひろこちゃんのお二人がいてくださったなあと思うのです。
そして、旅はどこへいくかより、誰と行くかだよと優しい言葉をかけてくださいました。
12月のベトナムの旅がこわごわだったのに、楽しみで仕方がなくなりました。ありがとう。赤塚さん。本当に楽しみでなりません。

赤塚さん、台湾に行かれたのですね。台湾のみなさんは、日本人を大切に思ってくださるのですね。本当に私たちの先人が、今の私たちをずいぶん助けてくださっているなあと思います。
ブータンに行ったときに、私が日本人と知ったブータンの方が「ダショー西岡は私たちを助けてくれた」と教えてくださいました。当時貧しかったブータンの食生活を西岡京治さんが、農業改革をおこして、西岡さんは名誉ある称号のダショーを与えられたのですね。
それから、台湾の方が、石川県をよく訪れてくださって、八田與一さんのお墓参りをされます。当時、東洋一のダムを作られたそうで、日本人は素晴らしいと言ってくださるのです。
そしていつまでも、そのことを忘れずに、私たちに優しくしてくださることを思うと、赤塚さんが書いてくださった「あなたは日本人ですね」と言われたときに、誇らしい気持ちでのちの人もいられるように、海外へ行っても、どこへ行っても、大きなことはできなくても、できる限り誠実でいたいなあとは思うのです。

赤塚さん、旅の間に『宇宙の約束』を何度も読んでくださったのですね。
今、改めてこの本を作り直そうとしていて、「新しい本に一緒にしよう」って言ってくださってありがとう。今、すごくそれが自分にとってしたくてたまらないことのひとつなのです。『宇宙の約束』の本は、初めて私がイスラエルを旅した後に書いた本です。私の今のいろいろな考えのもとにもなっている本だと思います。
赤塚さんが書いてくださったように、イスラエルへ出かける前の年に、赤塚さんが私たちの旅のバリ島へ来て一緒にイスラエルへ行こうなと誘ってくださって、イスラエルへ行く旅が実現しました。
ときどき、いろいろなインタビューを受けますが、「かっこちゃんにとって、人生の転機はいつですか?」と聞かれることがあります。そのときそのとき、すべてですなんてお答えすることもあります。けれども、村上和雄先生や雪絵ちゃんや色々な人との出会いももちろんそうですが、このイスラエル旅行に出かけたことも大きな大きな一つに間違いありません。
私も、毎日『宇宙の約束』の本を読んでいます。その前に書いた『本当のことだから』も読んでいます。
私たちはいつか死ぬのに、なぜ生まれてくるのか。
なぜ、大きな災害が起き、戦争が起きるのか? そして、それだけでなくて、生きていれば辛いことや悲しいこともいっぱいある。でもそれ以上にうれしいことや楽しいこともきっといっぱいあるなあと改めて思うのです。
養護学校に長くいて、お父さんお母さんと深く話をする機会もたくさんありました。お子さんに障がいがあるとわかったとき、あるいは後天的に障がいを持つようになられたときに、自分の人生はもう終わったのじゃないか、楽しいこともなにもない辛い人生が続くのだと考えたとおっしゃる方はたくさんおられました。「いっそ、死んでくれたらと知らず知らずに思っていたこともある」ともおっしゃいました。でもみなさん笑って、「そんなこともあったからこそ、今、この子は何にも変え難い大切な子やと言えるんです」とおっしゃるのです。「この子がいてくれたから、みんなに助けてもらって、温かい心をいっぱいもらった」「大事なことが何なのかわかった」とおっしゃるのです。
『宇宙の約束』の本の中で、私はやっぱり迷ったり、わからなくなったりということが繰り返し出てきます。赤塚さんが、バラさんが、小林さんが、てっちゃんが、出会ったイスラエルの人々やできごとが、たくさんのことを教えてくださるのですが、日常の中では決して気がつけなかったことばかりです。
そしてそのことは、決して養護学校で出会った子どもたちと無関係ではありませんでした。

そうこうしているうちに、赤塚さんは、今日イスラエルの旅に出かけられたのですね。次は私も一緒に行けます。今からワクワクが止まりません。
きっとまた、一緒に旅をしてくださる方、どなた一人かけても、作り出されなかった大切な旅になることでしょう。

赤塚さん、旅から帰ってこられたら、小松でのウクレレライブです。首を長くしてお待ちしています。

またね。      かつこ

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