高校生の時の日記を振り返る

私は小学六年生の時から毎日日記をつけている。高校生の時の日記を振り返って、印象に残った文章とかを抜粋して書いていく。拙いところとか、今とは考えが違うことも多々あるが、それも踏まえて印象に残った部分を書いていく。個人情報の部分以外はほとんど訂正していないので、文章が変な部分がある。

○高1 12月19日の日記
球技大会の待ち時間、1時間30分くらいあったが、能力がある人、ない人、学校はどちらにとっての場所なのかみたいなことを考えていた。生徒を能力がある人(なんでも平均以上にできちゃう人)とない人の2種類に分けて考えるとすると、学校はどちらにとってもあまり良いところとは言えないんじゃないかなぁとずっと考えていた。
例えば、能力ある人に立って考えると、学校はない人の為にも...と思って制限かけたり、ルールを作ったりする。かと言って能力ない人がいいかというと、そうでもない。
能力ない人は、能力ある人から邪魔者扱いされる。厄介者扱いを受ける。そこで一番最悪なのが「奮起して頑張るケド失敗する」ことだ。彼ら能力者はダサい人を攻撃する。一生懸命を馬鹿にする。だって、彼らは頑張らなくてもある程度できる奴らだからだ。そして、できないことを人のせいにしたり、自分で笑ったりできるやつらなのだ。ダサい人達を馬鹿にするくせにそいつらが頑張ったり思い切った行動をとった時には「いきってる」とさらに攻撃を加える。
残された非能力者の選択肢は1つだ。それは、「あんまやる気ないよ。でも大胆にサボったりはしないよ。能力者達を応援するから頑張ってね。」である。なるべく目立たず、関わらない。それが最善なのだ。

○高1 1月30日の日記
空虚である。今日も学校を休むことにした。
楽だ。楽ではあるが、何かつまらない。中学の時はそう思って学校に行くと意外と楽しかったりしたのだが、高校はそうでもないような気がする。
空虚で焦点の合っていない、そんな目をして僕は生きている。そんな当たり前のことが時に幸せで時に残酷なのだ。学校に行かなければならない不安と学校に行きたくないという不安が同時に襲ってきてつらいのです。そんな矛盾と一緒に生きている今日が不安でしかたないのです。朝を待ちわびている自分と遠ざけようとする自分の矛盾が怖いのだ。恐ろしいのだ。

○高1 2月6日の日記
あなただけが苦しいんじゃないよという悪魔の言葉。
総合の時間が最早苦痛でしかない。教師は生徒達にあんなうわべだけのうわっつらの言葉を言わせて何が楽しいのか。
じゃあ本音を言えばいいって?
そんなのできるわけがないだろう。そんなことをするくらいなら嘘をつくほうがましだ。そして、たやすい。そんな無駄な時間がある。考えがまとまらず答えが見つからなかった。

○高2 5月7日の日記
僕はサトシのようなポケモントレーナーになりたかった。雨の中、自転車を漕ぎながらふとそう思っていた。赤いカッパを着てカゴの前に置いたカバンができるだけ濡れないように前屈みになっていると、サトシがピカチュウをスピアーに追いかけられているシーンを思い出し、不覚にもサトシと自分を重ね合わせてしまう。この世界にポケモンはいないし、ポケモンマスターにもなれないというのに。

○高2 11月4日の日記
朝から夕方まで一人。そして家から一歩も出ない生活。特に何もしていない。気力を回復させるだけの一日。暗くなり、誰もいない暗いリビングの部屋に行くと、急に寂しさがこみ上げてくる。けれど、誰かが帰ってきてもその寂しさがなくなったりはしない。
そうだ。僕は一日が終わることに寂しさを感じているんだ。

○高2 11月28日の日記
席が一番後ろなので、授業中は基本的に何をしていてもバレない。なので、生物の時間に読書したり、現代文の時間に英語の勉強していたり。あと、僕の前の席に座っている人が初期の涼宮ハルヒかよっていうくらい髪型をコロコロと変えているので、面白い。

○高2 12月17日の日記
この中途半端な時期にはやっぱ何もしたくなくなる。テストでは国語で学年一位と素晴らしい結果を残すものの、数学が僕の足を引っ張る。数学の足を引っ張る強さ強すぎるんだが?まあ、あと二回テストをこなせば足の根本から取り外して置いとけるのでそれまではそこそこの頑張りをみせますか.....

○高2 1月16日の日記
「誰か助けて〜」という声が近くから聞こえる。僕は助ける条件を満たしており、助けられる状態にあるのだが、声の主は「誰か」を本当に知らない人を含む誰かなのか、親しい友だちの中の誰かなのか分からないのでやめてください。そういう人に限って助けたら誰?みたいな目で見るんだから。「親しい友だちの中の誰か助けて〜」って言うように。以上。

○高2 2月1日の日記
駅伝とか。
皆楽しそうで、青春っていう感じがした。青春という枠で作られた塗り絵を皆で協力して塗っているような気がした。個性という色で描かれた青春という名のキャンバスはとても綺麗で、輝いて見えた。
グループLINEで送られてきた画像に、僕はいない。そこに僕がいたという気配すら感じない。身勝手だよね。僕が決めたことなのに、結果には満足しないで羨ましいって思って眺めているなんて。

○高3 7月30日の日記
三者面談。進路の話とか。正直、大学とかも、どこに行っても自分の人生は変わらないと思っている。絶望とか、人生においてのどうでも良さが常に自分の中にあって、それ故にテキトーに選んで、選んだ理由を後から適当に付随させている。時に嘘を、時に本当を交えて。
不安とか心配で行動するパターンも多いのだけれど、最近は絶望ばかりを感じてやる気すら無くなっている。
絶望って望みを断つということで、願わずに努力して自分の力で叶えるという見方をしてみる。

○高3 8月2日の日記
今日もひどく疲れた。ひどく疲れたということは、頑張ったと捉えていいのだろうか。人には向き不向きがあって、それはしばらくの努力をして初めて分かるものだ。では、しばらくの努力をして、それが向いていなかったら何が残るだろうか。
向いていない。
ただそれだけの結果に切り替えることができるだろうか。それが勉強だったら?スポーツだったら?やらなくちゃダメなことだったら?生きることだったら?
向いていないという絶望的な結果を目の前にして、それからどう動くことができるのだろう。そんなことを帰り道に考えた。
家に帰って、横になって、自分がひどく疲れていてボロボロであることに気がついた。
窓の外で洗濯物が揺れている。外は少し薄暗い。今いる部屋には電気がついていなくて、暗い。仰向けに寝転んでいるので、隣の部屋の電気が眩しい。眩しくて、眠れやしない。
瞼を閉じると、薄暗い光を感じる。
光が闇を際立たせるように、闇が光を一層際立たせている。僕は、諦めた幸せのことを思う。

○高3 10月16日の日記
日本史研究では、問題の形式を急に変えてきた。教師のやりたいこと、やらせたいこととか、意図とか、伸ばせたい力はなんとなく分かるんだけど、僕らからしたら結構苦しい。
生徒にとって、テストなんて点数稼ぎでしかなくて、教師の作る問題に合わせて勉強しているに過ぎない。そういう点に関して、僕は教育についてあきらめている。
明らかに諦めている。
腐った教育制度のもとでは、向上心のある素晴らしい教師ほど苦しい思いをする。

○高3 10月25日の日記
大学も決まり、テストもとりあえず終わって、いよいよモチベーションが0になった僕はいくつかの退屈な授業の中で眠りについた。眠りについた授業は、頑張って努力した授業よりも何倍も短く感じられた。

○高3 12月29日の日記
穏やかで幸福度の高い一日。
ここ一年は自分の精神的なところが完成してきて、価値観もある程度固まってきてる。自分がいかに幸福であれるかを考え続け、自分の心を幸福に落とし込むことに成功した。
スーパーに行って、ペットを眺めた。永遠に眺めていられるような気がした。しばらく眺め続けた後、店員の目が気になってやめた。誰かの目を気にしていられないほど熱中できるものが僕には無かった。
紙にこすれる黒鉛の音を、音楽で消した。
リードギターのお洒落なピッキングを頭に残したままま、僕は布団に潜った。
旅行でいない兄の代わりに、僕がその布団で「寝むる。」慣れない布団の香りをかぎながら、今日はいつもよりもよく「寝むる」ことのできる気がする、と思った。
目を閉じると暗闇が広がっている。
瞼の裏側は、いつだって暗闇だ。

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