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「しもやけの気配がし、裸足で過ごす」2022年11月16日の日記

「言の葉の庭」を見た。
最初に見た時は確か中学生の時だった。
「秒速5センチメートル」を見た後に新海誠という人物を知って、そこから「言の葉の庭」「雲の向こう、約束の場所」を知り、「彼女と彼女の猫」を知り、みたいな流れで小説とかも全部読んだな。
今見返すと、フェチっぽさとかが凄く見えてちょっと笑っちゃう部分はある。足の描写とか、謎の多い歳上の先生とか、ベッドに寝転んだ時の先生の胸の感じとか、そういう少しの変態っぽさを、魅力的なセリフ回しとエモい作画で中和している感じはある。
でもやっぱりこの作品は大好きだし、不思議な魅力がある。


寒さが少しずつ強くなってきて、同時にしもやけの気配が漂っている。

私は高校生くらいから酷い足のしもやけに悩まされており、毎年色々な予防をしているのだが、ことごとくうまくいっていない。
今年は靴下や靴などの足が蒸れそうなものを履かないという方法を試してみることにした。
なので、今日からクロックスで大学まで行ってみる。普通の服にクロックスを履くと、なんとも変な格好になるが、足の痒みに比べたら恥などあってないようなものだ。
実際にしもやけはだいぶマシだったし、そもそも裸足というのは楽だな。
ちなみに、私の兄も同じようにしもやけに悩まされており、しもやけの情報は随時交換しているのだが、昨日私の足の写真と一緒に「さあ始まりました」と何かの試合が始まったみたいなメッセージを送ったら、全く理解されなかった。


午後から大学。

ゼミで、向田邦子の「心に残るあのご飯」と「字のない葉書」を読んだ。

純粋に読めば戦時中の家族の温かさとか絆とかが主題になってくるのだろうが、やっぱり戦争を扱っているので、ただの感動話とは読めない部分もあった。

例えば、もう死ぬから、豪華な最後の昼餐にしようと父親が言い、家にある食事を集めて食事をとる場面があるが、父親は、自分の判断で諦めて家族全員で死ぬ準備をして、娘たちをそのまま死なせる選択をしているということになる。いや最後まで娘たちが生きれるようにしろよ!的な野次が思い浮かばなくもない。


家に帰り、高校生の時の日記を読み返していた。私の覚えていない記憶もあれば、どうでもいいのに不思議なほど覚えていることもある。

私が学校を休んだ次の日、隣の席の山田さんだけが「大丈夫?」と声をかけてくれたことを今でも覚えている。好きでもなければ仲良くもなかった、ただの隣の席に座っていただけのクラスメイトの言葉を、「大丈夫?」と声をかけてくれた時の首の角度を、覚えている。不思議と、そんな何気ない一言に救われることもあって、今でも覚えていることがあるのだ。自分も、もしかしたら誰かの記憶にこびりつくようにして残っている一部分があるのかもしれない。そう考えると、「人生っておもしれーな」となり、少しだけ人生というものを肯定できる気がする。

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