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「異常ない日常だが描き方を変える」2022年12月8日の日記

・今朝。母親が寝ている私に向かって「今日は午後から大学なんかな...起こさんでいいんかな...。」と1人で呟いているのを聞いて起きる。自分でもびっくりした。多分寝ていたと思うんだけど。あれだけ小さな声で起きれるのか、私。

・朝食。バターとチーズが乱立している。ウインナーに乗っているチーズとパンに乗っているバター。

・大学。眠気を抑えて授業を受けた。ネットサーフィンなどをしているので、意味はない。

・昼食。ニンジンが整列していた。


・電車。イヤホンの向こうの世界から不自然に音が聞こえてきた。私の前に立っている男のイヤホンから音漏れしている。
「音漏れしてんで」と隣の席の男が私の前に立っている男に言った。
男は、「あ、すいません」と言いながら音量を下げた。

私の隣に座っている男がおもむろに鞄からチョコレートを取り出して食べ始めた。チラリと横を見ると、男はマスクをしていなかった。チョコレートには意外と匂いがあるのだと思った。男の服にはタバコの臭いがこびりついていて、チョコレートの匂いと一緒に私の鼻を刺激した。[マスクを貫通して空気は私の肺に届く。]

少し乗客が減ると、男は次にビールを飲み出した。チョコレートの匂いが消え、酒とタバコの臭いが充満した。

「チョコレートと酒って合うんですか?」

ふいに、雪野先生の顔が浮かぶ。雪野先生で、新宿御苑ならば物語だが、ただの男が飲んだら変質だ。


・図書館。予約していた本を2冊借りる。


・帰宅。夕方頃に弟は出かけ、家は一時的に私1人になった。1人は気軽で気持ちが良い。
日が落ちるのが早くなった。暗闇の中にいた。


・風呂に入っていると続々と人が帰ってきた。夜はカレーということで、たくさん食べた。

・Netflixで「西部戦線異常なし」戦争映画を見た。あまりにも残酷な描写が多く、途中でしんどくなってしまったので少し休憩して明日見ることにした。
戦争映画を見たら嫌な気持ちになるけれど、果たしてこういう気持ちになるのが正解なのかよく分からないなと思う。悲しい気持ちになるのが良いのか、感情移入して泣けば良いのか、勉強だと割り切れば良いのか、娯楽として楽しめば良いのか。
原爆の資料館に行って、たくさんの写真や資料を見て、酷く苦しくなる。悲しくなる。
そういうことが、果たして正解なのか、よく分からなくなる瞬間がある。嫌な気持ちになるだけで戦争が無くなればいいけれど、生憎そんな単純ではない。戦争に意識を向ければ、戦争からは遠ざかるのだろうか。知れば、争いは無くなるのだろうか。けれど、少なくとも、知らないよりは知っていた方がいいとは思っている。嫌な気持ちになりながら、そんな風に言い聞かせている。
涙は流れない。



今日は少し意識的に日記のスタイルを変えてみた。黒ちょぼで箇条書き的に書いていくのアリな気がする。とりあえず今年はこのままで、来年から試してみるか。

noteを始めて、色々な人の日記を読んで、色々な人の日常を文章として垣間見るようになった。

誰かの日記を読んでみると、ある程度スタイルがあることが分かる。日記と一言に言っても、文体、構成をはじめとして、読み手を意識した文章なのか、敬語なのか、箇条書き的なのかなど色々な要素があり、日記を書いていると、各々ある程度固まってくる感覚がある。私自身、1年近くnoteで日記を続けているので、ある程度スタイルが固まりつつあるのだが、noteを始める前の、誰にも見せない日記はもっと自由だったなとふと思う。


たまに意識的にスタイルを変えてみるのも刺激になっていいかもな。いつまでも同じ日々が続くと思うな。もしかしたら明日からのネット上の他人の人格が大きく変わっているかもしれないのだ。危機感を持て!
眠〜。(最後、攻撃的な文章として読まれたらヤダなと思って、「眠〜」の一言で緩和させているとわざわざ書く。)

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