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「内的思考で泣いていて」2022年6月17日の日記

しっかり夏が近づいてきているという予感。
朝は暑さの中にジメジメとした湿り気もあって、皮膚の外側に何かがまとわりついているような感じがした。

本の感想を書いた。本の感想というよりは、最近思っているぐちゃぐちゃとした思考をそのまま書いたみたいな感じの文章。
自分でもあんまり納得いっていないし、うまく纏まっていない。

私は、本心を言えば、「障害者」だろうが「障がい者」だろうが、「障害を持っている」だろうが「障害がある」だろうが、別にどっちでもいいと思っている。ただの言葉の使い方の差にすぎない。
だけど、現に「障害者という表記は不適切ではないのか?」という意見があるから、一応それに沿って書いている。
そうした時に、常に自分に対して「本心はどうでもいいと思っているんだろ?」と語りかける自分がどこかにいる。自分に嘘をついて世間に媚びているような、そんな意識が張り付いていて、気持ち悪い。

最近、難しいことを考える癖、みたいなものがついている。突き詰めて考える癖とも言える。

考えても結論がでなさそうなことをウダウダと考える思考の癖がついていて、これは基本的に良いことだと思うのだけど、気持ち的に内向きになっている。気持ち的に内向きになったらどうなるのかというと、人と全然喋らなくなる。人と喋らなくなると、徐々に鬱になっていく。人と喋らなくなるまでは別に良いのだが、鬱になるのは嫌なので、「ま、いっか」の精神は常に忘れずに心の隅に置いておきたい。



「なんとなく誰かと一緒にいる」みたいなのが苦手だなと思う。今日なんて特にそう思う日だった。気持ちが内向きになっているんだろうな。「なんでこの人私と一緒にいるんだろう」みたいなことを考えてしまう。
学校生活における友人関係って、「なんとなく一緒にいる人たち」の集まりで、私はそういう関係があまり好きではなかった。
私と親しくなろうとしてくれているのか、よく休み時間に話しかけてくる人がいた。私が図書室に行くのにも付いてきて、私が何も喋らなくても満足そうだった。私はその人のことがよく分からなかった。ただ孤独を紛らすために、1人でいないために私のそばにいるような気がしてならなかった。実際そうだったのかも知れない。そうだったならば、私はその人のことを好きではなかった。私はその人に利用されていただけだったのかも知れない。存在しているだけで満足な存在。私。


こういうこと思ってるから友達少ないんだろ!自業自得だろ!


ふ、ふーん。別に友達いなくたっていいし?


人生に孤独を感じたらそれは全部お前の責任だからな!人のせいにすんなよ!


はい、分かりました.....。



こんなこと書くつもりなかったのにぃ......。

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夜、弟を除く家族5人でお好み焼きを食べに行った。
ドリンクバーを頼めばソフトクリームも食べ放題という店で、みんなでソフトクリームを食べまくった。ソフトクリームにかけるキャラメルソースが美味しかった。
家族で何かを競った時に何が一番良い勝負になりそうか、みたいな話をした。


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