中学3年生、僕が文化祭の劇に関わって見た景色。

これは、この記事の中でも特に文化祭のことについて書いたものである。


〇〇が死んだ日の放課後、私たち生徒会のメンバーは急遽招集された。
文化祭の劇も迫っており、時間が無い中、これからどうするのかという相談だった。当時劇の練習をずっと見てくれていたS先生は、私たちと同じように目に涙を浮かべながらこのような状況にも関わらず呼び出してしまって申し訳ないが、とにかく時間がないということを言った。
皮肉にも、劇はいじめを扱ったものだった。昔話の桃太郎を現代風にアレンジしたもので、桃太郎が鬼にいじめられるが、猿や犬や雉たちの協力もあって和解に進むというストーリーだった。


まず、劇をやるのかやらないのかということが議論になった。議論、と言っても、誰もなかなか口を開かず、しばらくは重い雰囲気だったが、徐々に意見も出てくるようになった。折角これまで練習してきたのだからやりたいという意見が多く、実行に向けて準備を続けていくことになった。
次に、生徒の中でこの劇をしたくない、精神的にできそうにないという者は抜けてもらって全く構わないということがS先生の口から告げられた。
幸いと言っていいのか分からないが、とりあえずは抜ける人は誰もいなかった。
今後のスケジュールについての紙が配られ、気持ち的に参加できそうにない場合は無理せずに休んでもらって構わないということが最後に念入りに伝えられ、その日は解散した。
私は裏方であったため、そもそも参加しているという強い意識もそこまでなく、やりたいという強い意思も無かった。全体でやるというのであれば私もやる、くらいの認識だった。


次の日、劇の練習は通常通り行われた。〇〇と仲の良かった生徒会長が唯一来ておらず、それがかろうじて現実のリアリティを保っているように私には思えた。

最初は沈黙が場を支配しており、なかなか上手く練習は進まなかったが、〇〇と関係の遠かった人間が徐々に場を盛り上げていき、劇の練習は進んでいった。


私は裏方であったため、舞台の袖から、演技の指導を受けている人や、実際に演技をしている生徒会の人たちや有志の人たちを見ていた。見ながら、何を考えていたのかはよく覚えていない。当時仲の良かったKと何か話した記憶はあるが、何を喋ったのか、もう思い出すことはできない。
その日は私の仕事もほとんどなく、ただ舞台袖に座って、舞台上の人間を見ているだけで練習は終わった。

たった1日で、こうも人間というのは元に戻っていくのか、と私は思った。そういう私も、徐々に元に戻っていっている感覚があった。元に戻る時、人間は急には戻らない。たまに「忘れる」時間があり、時が経つにつれてその「忘れる」時間も徐々に長くなっていき、たまに思い出しては落ち込むだけになっていき、しだいに元に戻っていくのだ。


それから学校の雰囲気も少しずつ前向きになっていった。聞き取り調査やアンケートなどはたびたび行われたが、それ以外は何ら変わらない学生生活が戻りつつあった。そして、劇の練習も通常通り行われるようになった。
これまでは教室で練習していた劇も、実際に体育館に行ってやることが多くなり、照明を担当していた私もやることが多くなった。
しかし、〇〇と仲の良かった生徒会長は未だに私たちの前に姿を表すことはなく、しばらくは生徒会長抜きで劇の練習を進めていった。
塾で練習に来れない人の代わりに、私が色々な代役を演じることもあった。台本を持ちながら、どの役に対しても45点くらいはもらえる演技をした。女性役の時には、女性の口調で演技をした。
とにかく、時間が無かった。皆、受験勉強の時間を削って劇の練習をしている。やれることを、やるしかなかった。


しばらくして、生徒会長が劇の練習に復帰した。皆、心配し、そして復帰に喜んでいた。ようやく彼女も前に進むことができたのだと、安堵していた。
その後の練習で、生徒会長は完璧な演技を見せた。陰で何回も練習していたのだろう。セリフは当然のように全て覚えており、役者とナレーターの両方を完璧にこなした。彼女は演技の才があった。ナレーターをしている時の声と、おばあちゃんの役を演じている時の声は、まるで別人のようだった。


あっという間に月日は流れ、本番を迎えた。
私は舞台袖で待機しながら、同じく待機している緊張気味の演者たちに、「頑張って」と声をかけた。猿役を務めていた野球部のHと軽く拳を合わせて、Hは白い歯を浮かべて笑った。
いよいよ幕が上がる。幕を上げるスイッチを押すのは私の役割だった。まずけたたましいブザー音が鳴った。トランシーバーからS先生の合図が聞こえ、スイッチを押して幕を上げる。生徒会長のナレーションが入る。ナレーションの後、タイトルコールを全員で言い、物語が始まる。

最初は猿と犬と雉の会話から始まる。舞台袖からは、3人の会話は明確に聞き取れず、少し籠って聞こえた。どうやらいきなりアドリブが入っていたようだが、良い感じだ。
3人の会話劇が終わり、一度3人がはけてくる。3人とも笑顔が見え、楽しんで劇に入れているのが伝わった。
照明をオレンジから白に切り替えて、教室の場面が始まる。
桃太郎が転校してくる場面の後、桃太郎が鬼役の人にいじめられていくという物語の流れだ。
鬼役は生徒会の書記を担当していた人が務めていた。女子だったが、もともと勝ち気な性格ということもあって、役によく馴染んでいた。

その後、鬼が桃太郎を馬鹿にしたことがきっかけで喧嘩になり、鬼が桃太郎を突き飛ばす場面に入る。物語の中で1番シリアスな場面だ。
鬼が桃太郎を突き飛ばすタイミングに合わせて照明の色を白から青に変える。
舞台袖から様子を伺い、桃太郎役が尻もちをついたタイミングで一気に切り替える。
「良いタイミング!」というS先生の言葉がトランシーバーから聞こえてきた。
怒った鬼が椅子を倒し、私のいる舞台袖にはけてくる。鬼役の気迫のこもった演技に、観客席から「ひえっ」という悲鳴が小さく聞こえた。
鬼役がはけ終わったらまた照明を少しだけ変え、桃太郎の1人語りに入る。はけ終わった鬼役の女子と目が合い、彼女は私に笑顔を向けた。「うまくいった。」そんな笑顔だった。舞台上の気迫のこもった演技と、今私に向けている無邪気そうな笑顔とのギャップが面白く、私も少し笑った。
ペンライトで台本を照らし、次の照明の動きを確認しておく。
次は有志の人たちによる漫才だ。
桃太郎たちの学校でも文化祭の準備があり、漫才はその文化祭で発表するもので、それを桃太郎たちも見ているというメタフィクション的な構造になっている。
外で待機していた有志の人たちが入ってくる。体育館裏の重い扉が開き、舞台袖に線のように細長い光が少しだけ漏れた。
漫才の出囃子に合わせて照明をグッと明るくする。二組ほど漫才の時間が終わり、また劇へと移行する。
その後、また鬼と桃太郎の衝突があり、鬼の不安やコンプレックスの解消が描かれ、桃太郎と鬼が和解してハッピーエンドという流れだ。

劇は、この和解の後に曲が流れ、その曲に合わせてダンスを踊り、終幕という構成になっており、そのダンスは私も舞台上に立って踊ることになっていた。

嵐の「愛を叫べ」が流れる。音楽に合わせて照明を明るいものに変えておく。照明役を先生に任せる。これから先は、私も演者だ。
1番は主演の5人だけで踊り、2番は裏方も含め、劇に関わった人全員で踊るという構成だ。
2番になり、私も舞台上に出て行く。薄暗い舞台袖から舞台上に出て行くと、赤や青や黄色など、やけに明るい照明が私を照らし、一瞬、目が眩んだ。たくさんの人がこちらを見ていた。音楽に合わせて、手拍子が鳴る。
夏休みから練習してきたダンスは、もう完全に私の身に馴染んでおり、間違える気配すらなかった。不思議と緊張はなく、舞台上から見える観客の顔はやけに小さく見えた。遥か遠くに観客席が存在しているように、小さな粒しか見えなかった。粒が、笑っているのが見えた。
最後に一同が整列し、「ありがとうございました!」と大きな声で挨拶をした。大きな拍手が会場を包んだ。そのまま幕が降りていき、徐々に観客の姿が見えなくなっていく。幕が閉じきった瞬間、全員の肩がグッと下がったのが分かった。分かりやすくホッとしたのだろう。一同はすぐに舞台上から舞台袖へと移動し、そのまま裏口から体育館裏へと移動して、別の部屋でしばらく待機する。
移動している時の、冷たい風の感触がやけに印象に残っている。紅潮した頬を冷たい風が撫でる感触だ。劇は大成功に終わった。
終わったことに対する名残惜しさもありながら、分かりやすい達成感が私にもあった。


別の部屋に移動すると、緊張の糸は一気に切れ、皆がそれぞれに話を始めた。演者たちの輪ができていて、「この場面は良かった」「このアドリブには焦らされた」と感想を述べているのを外から眺めながら、少しだけ寂しさを感じている自分がいた。達成感は私にもあった。けれど、生徒会のメンバーの中で、裏方だったのは私1人で、裏方の苦労を共有できる人はいないのだ。照明を1人でやり、代役をこなし、小道具を作り、舞台背景を作った。そんな苦労を、達成感で上書きすることはできても、共有することはできないのだなという寂しさは確かに存在していた。

生徒会長は目に涙を浮かべながら皆にありがとうと言っていた。その姿を見ながら、私も少し泣きそうになっていた。〇〇が死んで、生徒会長はどれだけ辛い思いをしたのだろう。そして、二役という大きなプレッシャーを抱えているにもかかわらず、それを全く感じさせなかった彼女に、私は尊敬の念を抱いていた。

少し落ち着いてきた頃、体育館にいたS先生が教室に入ってきた。S先生は、これだけ苦しい状況の中であれだけのものを作り上げたことは本当に凄いことだし、感動したと涙を浮かべながら言った。
記念撮影や雑談などの時間を終え、S先生から最後に手紙が配られ、解散となった。クラスに戻りながら、いよいよ生徒会での活動も終わり、後は受験だという思いがよぎったが、もう少しだけこの余韻に浸っていようと思った。

S先生からの手紙には、「いろいろな代役を務めてくれたり、みんなが嫌がる雑務を嫌な顔1つせずにサラッとやってくれたりと、影で本当に支えてくれました。ありがとう。」と書いてあり、今までの苦労や裏方の苦しみが報われた気がした。この孤独感をちゃんとS先生は分かってくれていたのだと思うだけで救われた気がした。



不思議と、あの文化祭の日のことを私はかなり鮮明に思い出すことができる。そして今でも、舞台上で輝きながら演技をする生徒会の皆の姿が、ピンと背筋を伸ばして前に立つ生徒会長の姿が、目に焼き付いて離れない。

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