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「文章だけの日記」2022年5月27日の日記

最近、少しだけ太ったような気がしている。この前風呂上がりに母親にも「ちょっと太った?」と言われた。体重は変わっていないのだが、確かに多少お腹が出ている気がする。
と思ったのだが、どうやら違うみたい。
姿勢が悪いせいか、お腹が出て見えるだけだったかも。姿勢を正して鏡を見たら意外と普通だった。
まあ、最近はちょっと食べ過ぎていたような気もするので、多少控えてみようかな。家にいる時間が長くなるとつい何か食べてしまう。家にはありがたいことにいつも何かしら食べ物があるし。

ダイエットに結構興味がある。
全然太らないので、ダイエットというものをしたことがないのだが、なんとなく楽しそうだなと思っている。
いや、苦労している人には申し訳ないんだけど、自分の体が変化していくのを自分で追えるのって結構楽しそう。筋トレとかに近いものがあると思う。筋トレって結局自分の体の向上をモチベーションにしている人も多いし。
筋トレは0→1みたいなイメージだけど、ダイエットは−1→0みたいなイメージ。
体の変化という点では変わらない。

ちゃんと太ったらちゃんとダイエットしてみたいんだけど、普通に生活しててもあんまりちゃんと太らないんだよな。小食だし、そこそこ運動もするし、代謝高いし。


先日、兄と授業の話になった。
兄は、成長するにつれて教師の質が下がって授業が面白くなくなっていった。と言っていたが、私は、結局誰がその授業をするかというだけで、面白さみたいなものは基本的に変わらない、どっちかというと、むしろ大学に行くにつれて授業が面白くなったような気がする。

小学生の頃、授業が面白かった記憶がない。というか、授業の記憶自体が全然ない。
好きな教師というのもいなかった。小学校では基本的に担任がほとんど全ての授業を担当するから、担任の教師が面白くないと本当に何も面白くなかったような気がする。
勉強ができたわけでもできなかったわけでもないが、とにかく退屈だった。もしかしたら人の話を聞くのがあんまり得意じゃないのかも。
それなりに真面目に授業を受けてはいたし、周りに迷惑はかけないようにしていた。教科書には落書きばかりしていて、違うことを考えている時間も多かったと思う。
中学に上がると、科目ごとに教師が変わるようになったため、好きな教科や嫌いな教科がわりと明確になった。

高校でも同じような感じだった。中学とは違い、比較的緩かったし、私はつまらない授業をする教師を舐めていたので、こっそり読書したり、1人でワーク進めたりすることもあった。

大学になるとさらに放任になるので、授業中にスマホ触ったり、別のことをしていても特に咎められないような状況になった。しかも単位はそれなりにやっていればなんとかなるので、つまらない授業をじっと聞いている必要もなくなった。
面白い授業はちゃんと聞いて、つまらない授業はそれなりに流すことができるようになったので、勉強の充実度は学年が上がるにつれて増しているという実感がある。

きっと面白い(質の高いもしくは相性の良い)教師ならどの授業をしても面白いんだろうし、面白くない(質の低い)教師はどの授業をしても面白くならないような気がしている。
教育を受ける、と受動的に考えるとこういう不公平が起こりうるので、私は教師に教えてもらうというよりは個人的に勉強するという意識の方が昔から高い。教師のことを、「教えるのが上手い人」というよりは、「私よりも頭が良くて色々知っている人」という認識でいたから、大学でうまくいっているのかもしれない。大学の教師は基本的に研究者なので、私がずっと思っていた教師の認識と合致するようになったから。


猫の本読んだので、メモ。
本当にただのメモ。

・犬やウマは人間が調教するすることによって人間の思い通りに動かすことが可能。犬やウマは元々集団の一員として行動する生物であり、集団に適応する能力があったからこそ人間という集団に強制的に参加させることができた。しかし、猫は違う。猫は祖先のアフリカヤマネコから生き方がほとんど変化していない。
・猫は乗り物酔いしない 内耳が発達しており、バランス感覚に優れている
・猫のひげは第三の手のような役割がある。ひげを目が悪い猫は視覚障害者の白杖のように障害物を避ける。また、目が悪い犬アメリカでは目の見えない犬の中には猫のひげを装着してもらうものもいる
・猫は甘みを感じない

終わり。


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