「今も本棚にあります」

今はもういない彼女の笑った顔を今でも覚えています。笑った時、矯正器具が見えました。手を洗っている時、好きだと言われました。どう答えて良いか分からず、だから何、と言いました。言葉だけじゃ頼りなくて、強く抱きしめました。その時、カラスの声が聞こえました。夕暮れでした。声は遠ざかり、僕は1人になりました。すれ違っても挨拶が出来ませんでした。ある日、耳が聞こえなくなりました。君の声はガラス窓を何枚か隔てたみたいに遠く、くぐもって聞こえました。何回も聞き返すので、しだいに喋らなくなりました。放課後生徒会室に行くと、扉は閉まっていました。中からは微かに声が聞こえました。会議をしているようで、終わるまで待ちました。待っていると、クラスメイトが来ました。一緒に扉が開くのを待ちながら、何回か話しました。あの時の僕にとって、会話は回数でした。一度も喋らないままに1日を終えると、なぜか達成感がありました。まだ喋っていない日には急いで帰りました。蝶を捕まえた時、指の腹に鱗粉が付きました。指の腹で鱗粉を広げると、指はキラキラと光りました。後からそれは蛾だったと知りました。あの時よく読んでいた本は日焼けですっかり茶色くなってしまったけれど、今も本棚にあります。

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