昔書いて眠っていた日記の欠片②

・兄の言っていたことが頭に残る。
「幸せって口にしていったほうが自分の幸福度が上がるし、周りも幸せにできるから得」だと兄は言った。なんか、こういう言い方は少し捻くれていて、圧倒的に正論で、好きだなと思う。
自分の幸福を言っていたほうが良いよ、という言葉はよく耳にする。けれど、その方が自分も相手も幸せになるという視点はなかったし、それを得であると言っている図々しさというか、理想論のようでありながら、合理的で論理的な考えに、私は圧倒された。

・雨の中、傘をさして歩く。
片方にだけイヤホンつけているから、ブルーハーツの歌は半分雨に埋もれている。

・不幸にならなくてもいいような、日々頑張っている人が不幸になっていく姿を見ることは、自分もいとも容易く不幸になってしまうんじゃないかという不安に直結する。だって、自分は別に頑張っていないし、不幸にならなくてもいいような人ではないから。
頑張りに対して幸せが確立されている世の中ならば誰しも努力を惜しまないのではないかと思う。けれど、実際はそうではない。
努力してきた人間に対しあっけなく死が訪れる時がある。不幸が急にあらわれることがある。

・嘘をつかなきゃ生きれないのが大人なのに、大人の君は嘘なんて一つもつかなくて、君の芯の通った真っ直ぐな心に触れると、大人になるほど素直になれるのかな、なんて思ったりもします。僕はまだ子供だから、嘘ばかりついてしまうけれど、本当の大人になれば、素直になれるのかな。

・大学生になってから中、高の時よりも読書をしなくなったのだが、最近になってまた読書するようになってきている。
一時期は本当に本を読む気力もなくて、集中も続かなかったのだけれど、ちゃんと本を読む環境が整っていれば楽しんで本が読めるということが分かって、少し安心した。
若者の読書離れというのは私が小学生くらいのことから言われていることだとお思うけれど、読書しなくなるなんて当たり前のことだと私は思う。読書はしんどいことだと思うし、読書しないことが悪いことだとは微塵も思わない。むしろ、読書した方がいい!読書しないといけない!みたいな意見にはあまり賛成できないし、馬鹿らしく感じてしまう。
正直、読書よりも動画や音声の方が手軽なエンタメだと思うし、逆に読書はまどろっこしくて、大衆受けはしないだろうなと思っている。

・次の電車を待つ五分間。私は何もしていない。音楽を聴いて、こうして文章を書いているけれど、私にとって音楽や文章を書くことは既に日常的なことになっていて、そこに特別感はなく、何かをしていると実感することはない。
休みの日に何してる?と聞かれて何もしていないと答える人がいるけれど、休みの日にしていることがその人にとって当たり前のことになっているから、今更言ったところで、みたいな気持ちがあるのだと思う。
求められているのは、この前はカラオケ行ったんだーとか、好きなアーティストのライブに行ったんだーとか、趣味のスポーツをしてた、などの、非日常的な事象に過ぎない。

・今日のとある授業がいつにも増して面倒だった。
受けている周りからも困惑とかストレスとかが伝わってきて、少し面白かった。
授業が終わって、少し課題を書いて提出しなければならないのだが、尋常じゃないスピードで帰ろうとしている奴がいて、そいつの手を見るとグシャグシャになった授業のプリントが握られていて、面白かった。
そいつは講義室の中にある紙にアルコール吹きつけた後の紙を捨てる用のゴミ袋にグシャグシャにしたプリントを捨てていて、余計に面白かった。そこまで見せつけなくても笑
僕はちゃんと綺麗に折りたたんで講義室の外にあるゴミ箱にしまった。

・そういえば、コロナが流行り出した時はマスクをずっと付けていると耳が凄く痛くなって、頭まで痛くなってきたのだけど、最近は耳がマスクに慣れてしまったのか、ずっと付けていても全然痛くならないな。
関係ないけど、マスクしたままでくしゃみをすると、自分でもびっくりするぐらい飛沫が飛んでいるのが分かって、マスクしてない状態でくしゃみをする時はめちゃくちゃちゃんと抑えようって思った。

・私はやりたいことがたくさんある人と相性が良いんだろう。
基本的に私は自分の意思がない人間だと感じていて、人にこうしたら?と言われたらすぐに従ってしまうし、この職業に就きなさいと言われれば、その通りにしてしまうと思う。
「与えられた場所でうまく立ち回ることができる」という書き方をすればプラスにはなると思うのだが、自分の中で特にしたいこともないし、これが嫌いだ!という強い意志がないのはそこそこ問題でもあると感じている。
逆にいうと、何にでもそこそこの興味をもつタイプだとは思っていて、誰かに何か誘われたら興味もってやってみるんじゃないかなと思っている。

・スティックパン食べてると、店長に「えらい貧相なもん食べてるね」と言われた。嫌味な感じはなかったので、「美味しいですよー」と返して終わったのだが、スティックパンって貧相に見えるのかな?
私は普通に好きで食べていたんだけど、もしかしたら棒状の食べ物をカジカジしている姿は貧相にうつるのかもしれない。

・バイト辞めるということをみんなに言ったら、みんな次どこで働くのかとか、次どうするんとか、なんで辞めるんとか聞いてくるから、バイトを辞めると言うことは少なくとも一般的には何か特別な理由が必要で、大学生はバイトしておかなければならないみたいな価値観なんだなって思った。
私はバイトしていない人がいてもなんとも思わないし、辞める人がいても不思議に思わないのだけれど、普通はそうじゃないのか。

・私は本に救われたことがない。本に救われるという経験をしたことがない。それは、私がまだ何かに救われるほど追い詰められていないということであるかも知らないし、本に救われるほどの感受性を持ち合わせていないということであるかもしれないし、これだけ読んでも未だに私を救ってくれるような本に出会っていないだけかもしれない。
だから、「あの本に救われました!」みたいな話を聞くと疑わしく思う。もし本当に救われたのであれば、それはそれで良いことだと思うし、ぜひ私も本に救われてみたい。
他にも、本の帯や感想などで「号泣!」とか「涙腺崩壊!」みたいなことを書いてある本も度々見かけるが、それもあまり信用できない。
私は本を読んで泣いたことはほとんど無い。感動することこそたまにあるが、泣くという感動の一つ先の水準に達したことはない。
だから、そういう広告を信じられないし、感動する本が果たして良い本なのかと疑問にも思う。
「泣く」ことや「感動する」ことが良いことのように扱われているが、果たして本当なのだろうかと思ったりもする。いつか、私を救ってくれるような本に出会えたら良いなと思う。
本を探して読むことって、宝探しみたいだと私は思う。自分にとって面白くない本だって、途中で辞めてしまうような本だってたくさんあるけれど、その中でもこの本いいなと思う本が見つかったら嬉しくなる。

・家の中にずっといて、ゲームとかインターネットばっかりしてると、世界が立体的であるということをわすれてしまう。外に出ると、全部が立体的で面白いなと思う。橋の下に道路があって、道路の上に家が立っていて、その下を川が流れていて...みたいな立体的な構造を見るとワクワクする。立体的でぐちゃぐちゃな街を見るのが好きなので、楽しいね。

・祖母は驚くほどに小さかった。
この小さな体に私と同じ数の臓器が入っていて、血液が流れていて、骨があるのは不思議だった。

・大学の門の前で小学生くらいの女の子が大きい葉っぱを使って枯葉を溝に落として掃除してて、それを近くで看守が見守っていた。
小説の一場面みたいな光景に私は顔が綻んだ。

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