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「大人になってごんぎつねをもう一度読む」2022年9月28日の日記

今日も午後からだった。今日はあまり睡眠がうまくいかず、10時くらいまで寝ていた。9時に起きた後、意識があるのかないのか、その境目くらいで朦朧としていたら10時になっていた。


ゼミで新美南吉の「ごんぎつね」を読んだ。小学校の時に誰しも読んでいるアレだ。小学生の時に感じたこととか、おそらく教えられたであろうこととは全然違う感想を抱いて、自分でも意外だった。
ごんは割と勝手に自分の中で兵十に負い目を感じて、勝手に反省の意を示そうとしたあげくに死んでしまう。そこに人間と獣の壁というか、伝わらなさが描かれていると思うのだが、昔感じた「感動」みたいなものは感じなかった。分からない点も多いし、描かれていない点も多く、疑問の方が多く持った。
そもそも、作者に感動させる気はあったのだろうかとも思える。感動させる話にしたかったら、もう少し上手く書けると思うのだ。例えば、本当にごんがうなぎを盗んだことで母親が悲しみながら死んだことにするとか、ごんが死んだ後に兵十の気持ちを繊細に描くとか。
その辺りがこのごんぎつねはあっさり描いている。ごんが死んだ時の兵十も、「ごん、お前だったのか」程度だ。
日本の原風景的な描写は素晴らしいし、話自体も面白くて分かりやすいのだけど、細かく読んでいくと多くの疑問が残るような、不思議な作品だ。


帰りの電車の中で「掟上今日子の忍法帖」を読み終えた。面白かった。
掟上今日子=羽川翼説というものが囁かれており、私はこの説は誤魔化しつつやるのだろうなと思っていたのだけれど、今作では掟上今日子=羽川翼説というのがかなり補強されていて、もしかしてそこも描いてくれるのか!?という期待が高まった。ほんの遊び心でやっていると思っていたのだが、もしかしたらガッツリ物語シリーズと絡むこともありそうだな。スピンオフ的な感じでも良いから書いてくれないかなー。

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「適切な世界の適切ならざる私」(文月悠光著)という詩集も読んだ。詩集もたまに読むけど、正直、詩の良さみたいなものはまだあんまり分かってない。頭の中に残るのは、「家に帰りたいと思うしくみが知りたい。」とか「飛び火して発熱する朝だ。」などの詩の中でも一部分の表現で、それ以外のところはあまり印象に残らなかった。前後にも色々文章はあったのだが、詩の流れみたいなものが全然分からなくて、頭の中からスルスルと抜け去っていく感じがした。
前々から感じていたが、私は文章を読む時に、言葉の美しさとか使い方ももちろんそうだが、むしろ視点の面白さの方を意識して読んでいるな。短歌とか詩とかを読む時も視点が面白いと思ったものをいいと思う傾向がある。だから小説とかも、ストーリーが良いというものよりも、主人公の視点が異質だとか、考え方が変だったり、比喩が面白いような作品を好む。

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