高校2年生の文化祭、誰もいない図書室前で僕たちは人生を話した。

私は文化祭というものについてかなり書きたいことが多いらしく、もう文化祭シリーズと言っていい感じで書いている。
今回は高校2年生の時の文化祭を振り返ったものである。

ちなみに、中学3年生の文化祭はこちら。

そして高校1年生の時の文化祭はこちら。
この記事で出てくる「彼」と今回もずっと一緒に話していたよ、というやつです。



高校2年生になり、彼とはクラスが別々になった。高校1年生の時にはあまりにも一緒にいたせいか、名前を間違えられることも多かった(名前も似ていた)のだが、違うクラスになり、その心配はなくなっていた。
私はサッカー部に入っていて、友人関係もある程度そちらの方で構築していたものの、他の部活の人とはほとんど関わりがなく、2年でのクラスはサッカー部が私の他に1人しかいなかったため、人間関係はまたもやリセットされたも同然であった。

私は例のことながら人間関係の構築にさほど興味がなかったので、1年の時と同じように授業の休み時間は本を読み、昼休みには彼と一緒に図書室前のスペースで食事をするというのが恒例となっていた。クラスは違えど、彼と話す頻度はそこまで変わらず、部活の人と彼以外に話すこともなく学校生活を送っていた。

そんな高校2年のスタートだったが、文化祭はまたもややってくる。
去年は金券を買わないという尖り方をして失敗してしまったため、今回は500円分の金券を買うことにした。正直、高校の文化祭ごときで500円を消費するのは当時の私からすれば痛手だったが、文化祭は2日間あり、それを金券無しで乗り切るのは難しいと去年知っていたので、仕方ないと割り切った。

私の高校の文化祭ではクラスTシャツを作ることが多く、今年も作ることになっていた。Tシャツ代は自費であったため、学校側もクラスで話し合って決めろということにしていた。しかし、クラスで民主主義が成立する場面など限られており、文化祭という浮かれた行事の前ではそんなものあってないようなものであった。いわゆるカースト上位の人たちが意見を押し通していって、結局Tシャツの値段は2500円もすることになった(去年は500円程度だったように思う)。
作ることを勝手に決められた挙句、値段まで勝手に決められていたものの、私の小さな意見など通るはずもなく(そもそも私なんてものは発言すら恐ろしいのである)、私は2日間の文化祭のために月のおこづかいの全てである3000円を失うことになった。


前日は皆残って飾り付けなどをしていたが、私は特にやることもなく、暇を持て余しながらトイレに行くと、同じように暇を持て余したように手を洗っている彼と目が合い、思わず吹き出してしまった。私と同じ目に合い、同じことを考えてやがる。そしてタイミングも一緒だというね。



そんなこともありつつ、当日。
私のクラスではシュークリームを売ることになっていた。これは冷蔵庫からシュークリームを出すだけで成立するなんとも簡単でぼったくりのような店であったため、準備なども特にする必要がなかった。

実は、書いていなかったが、1年の時はかなり準備が大変だった。段ボールの迷路のようなものを作ったのだが、皆部活などで忙しかったため、準備のほとんどが帰宅部であった彼に押し付けられていたのだ。
私もできる範囲で手伝い、私と彼が中心になって迷路を作った思い出がある。店番もなかったし、2日目は休んだので完成形をほとんど見ないまま終わったのだけれど。

その点シュークリームはかなり楽だったし、店番も何人かが割り振られていたが、私は特に仕事も無さそうだったので、教室の端に椅子を置いて本を読んでいた。
たまにサッカー部の先輩が来ては気まずくなったりしたものの、基本的には何もせずに過ごした。
しばらくそうして時間が経つのを待っていると、彼の当番の時間が終わったらしく私のいる教室に来た。ちょうど私も当番が終わるタイミングだったため、合流して一緒に文化祭を見て回ることになった。

とりあえず古本などが売っているところに向かう。かなり有名な作品が売ってあったりしたので、彼と本の話をしながら長居し、何冊か買って私たちの基地へと戻った。図書室前の椅子である。この場所は店の導線にもなっておらず、人がほとんど来なかったため、文化祭とは思えないほど静かだった。
いつも昼休みに座る場所へと腰掛け、パンフレットをパラパラめくりながら色々と話をした。最近読んだ本の話とか、アニメの話とか映画の話とかをした。彼から面白いアニメをたくさん教えてもらっていたので、それを見た感想などを話しているうちに時間は過ぎた。私たちは結局店などほとんど見ないままに1日目を終えた。


2日目は2人とも店番が無かったので、同じように時が過ぎるのを待つようにして図書室前のスペースでひたすら話をして過ごした。
かなり時間があったので、本当に色々な話をしたのだが、やはり彼のいじめの話が強烈に印象に残っている。
彼がずっといじめられてきたというのは軽く知っていたけれど、具体的なエピソードなどはあまり詳しく聞いてこなかった(基本的に私から聞くことはしないので)。今回は時間がたっぷりあるということで、彼も一つ一つ話し始めた。


トイレの水に顔をつけられて溺れそうになったこと。そのせいで閉所や暗所が怖くなったこと。
屋上から落とされそうになったこと。そのせいで高いところも苦手になったこと。
ストレスのせいで寝ている間に爪で自分の肌を傷つけてしまうため、深爪にしていること。その癖が今でも抜けず、毎日やすりで爪を削っていること。
学校に行くたびに机が無くなっているから、誰よりも早く学校に行っていたこと。
万引き犯に仕立て上げられそうになったこと。
タバコを鞄に入れられたり、女子の体操服を盗んだことにされそうになったこと。
死にたくても家族に迷惑をかけたくないから死ねなかったこと。
先生にいじめられているのとを信じてもらえなかったこと。
付き合っていた彼女に裏切られていじめに加担されたこと。
勉強を頑張れば調子にのっていると言われて教科書を無くされたこと。
運動を頑張ろうとすれば靴を隠されたこと。
働いている母親に心配をかけないように風呂場で1人で傷を冷やしたこと。
それを妹に見られ、大丈夫だから誰にも言うなと忠告したこと。

今でも残っている腕の傷跡のこと。



そんな、色々な話を聞いた。彼の話の全てが本当がどうかは分からない。本当かどうか疑うほどに残酷な話が多く、私は何回も泣きそうになった。
彼は、「あんなこともあったな」とまるで昔話をするように語った。遠い過去を振り返るような口調に、「今の自分と切り離して考えないとやっていけないのだろう」と私は思った。

彼は、遠くから同情されるのが1番腹が立つと言った。最も安全な、反対側の岸からの「大丈夫?」という言葉が最も憎いと言った。決して守ってはくれない、口先だけの「大丈夫?」という傍観者の言葉は、当事者からすれば加害者よりも腹が立つと言っていた。
それと、いじめによる自殺の最も残酷な点は、本人が直接手を下していないということも言っていた。崖のギリギリに立たせるけれど、決して押したりはしない。それが1番残酷なのだと言った。


彼は、いじめられてきたから得たスキルがあると笑いながら言った。
ボタンを付けるのが上手くなった。
腹を蹴られ続け、腹筋が発達した。
痛みを与えられ続け、痛覚が鈍るようになった。
人の心がある程度読めるようになった。
諦めから、決断力や行動力がついた。

彼はそれをまるで良いことのように言ったけれど、それが見栄だと言うことが私にはなんとなく分かった。
きっとそう考えないと生きていけないのだろう。
過去の自分は別の人間だと思わないとやっていけないのだろう。

彼は、自分をいじめていた奴らが来ないような遠く離れたこの高校に入学した。通学に1時間半はかかるというこの高校に入学し、物理的に場所を離すことでなんとかいじめから解放された。


いじめの解決は難しいという話もした。
彼の兄は、いじめられていた子をあえて殴り、自分が一度加害者になって自分をいじめの標的にしたことでその子を救ったらしい。
彼の兄がその子を殴ったことで学校で大きな問題となり、彼の兄は停学処分となった。彼の兄は毎日その子の家に行き、その子の親に土下座して謝ったが、何も知らない両親からは一切許されることはなかった。
一方その子は殴られた次の日から「可哀想な被害者」という立ち位置になり、いじめは止まったらしい。
けれど、はっきり言ってこの解決方法は異常だ。自己犠牲も度が過ぎている。病的だ。普通の人は、こんな選択肢取れるはずがない。
しかも、彼の兄はいじめていた奴ではなく、いじめられていた子をあえて殴って痛みつけた。彼の兄は、いじめていた奴を殴っても解決にはならないと分かっていたのだ。こんな方法、普通の人ならばできない。

彼は、いじめはそう簡単に無くならないからとにかく逃げろと言っていた。とにかくその場所から身を離せと言った。じゃないと、徐々にいじめが日常的なものになっていき、多少の嫌がらせだと心が動かないようになっていくのだと言っていた。いじめが当たり前のようになっていくことに恐ろしさを感じたと言っていた。


そんな話を永遠としていたらいつの間にか文化祭の時間は終わっていて、薄暗い図書室前の廊下は夕焼けで少しだけ赤くなっていた。窓を開けて外を見ると、屋台の白い屋根がほんのり赤くなっていた。たくさんの人の笑い声が聞こえた。
「暗い気分になってしまったね」と言いながら、私たちは各々のクラスに戻った。去年と違い、なんとか2日間を乗り切ることができたな、と思った。
教室に戻ると、もうほとんどの生徒が戻ってきているようだった。シュークリームは早い段階で完売していたようで、先生も喜んでいた。


放課後、いち早く教室を抜けて、家に帰る。
自転車を漕ぎながら、私は彼のことを考えていた。彼の瞳の奥に映ってきた景色を考えていた。彼の頭の中に眠る景色を考えていた。きっと、今日聞いた話が全てではないだろう。彼は、今でも加害者が許せないと言っていた。「もし自殺しようと思ったらその前に加害者に復讐してから死ぬ」と彼は冗談のように言っていた。静かな怒りが、まだ彼の中には眠っていると思った。
「高校に来て、少しだけ人生が良くなって、本当に良かった」とその時私は思った。

最も安全なところから、遠く離れた向かい側の岸から、私は思った。

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