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「手の甲の生茶の文字からその人の日常を想像する」2022年12月13日の日記

これを書いている今、猛烈に眠く、早く寝なければならない感じなので、今日はあんまり考えなしに書いている。私はちゃんと考えて書かないとあんまり上手く書けないのだが、どうなるだろう。

昼に作ったもの。そうめんの上にひき肉と玉ねぎとにんじんを炒めたものを乗せている。味付けは砂糖、醤油、酒、めんつゆ、生姜。
分量はかなり適当に作ったが、結構美味しかった。


電車に乗って大学に向かっていると、女子高生2人組とアフリカ系の外国人のおばさん2人組が同時に乗車してきた。
人類で一番声の大きい2種類の襲来によって、電車内が一気に賑やかになった。


大学までの道を歩いていると、急に犬が近くの家から飛び出してきた。犬は私の足のまわりを一周すると、すぐに家に戻っていった。逃げ出したのかと思って焦ったが、すぐに飼い主の元に駆け寄っていっていたから大丈夫そうだった。
柔らかな毛の感触がうっすらと足に残った。


講義を受け終わり、また前過ごした場所で本を読むなどして過ごした。

しばらく過ごしていると、また音が聞こえてきた。今度は吹奏楽ではなく、クラシックギターの音だったので、非常にリラックスして本が読めた。生きている人間の奏でる生の音は完成された音楽より活き活きしていて、心地良い。


帰りの電車では、隣に座っていた男が足を組んでいたので、本来4人座れる席が私含めて3人しか座れていない状態だった。
そこに女子高生が乗ってきて、「そこ、座ってもいいですか」と聞いてきた。
男は組んでいた足を解いて端に寄り、私も男の方に詰め、女子高生が私の隣に座った。
女子高生はすぐにスマホを触り始めたのだが、ふと手の甲に何か大きな文字が書いてあるのが目に入った。
そこには、マジックペンで大きく「生茶」と書かれていた。それも、習字のように達筆な字だ。
メモにしては大きすぎるし、そもそも「生茶」をメモするのはどういうことなんだ。
よく見ると、実際の「生茶」にフォントがよく似ている。もしかしたら、これはそのまま真似たものなのかもしれない。
「もしかしたら授業中に暇で書いたのかな」とか、「友達にふざけて書かれたのかな」などの仮説が思い浮かび、人の手の甲の文字から色々と想像している自分が奇妙だった。
「生茶」からその人の色々な背景を想像でき、「生茶」という2文字に色々な日常が詰まっているような気がした。


家に帰ると7時半で、そこから風呂に入り、味噌汁だけ作った。
私が味噌汁をつぐと、配分が下手すぎて私の分が汁だけとか具だけとかになっちゃうな。


「劇場」の映画を見た。もう小説も何回も読んでいるし、この映画も何回も見ているのだが、相変わらず良くて、相変わらず泣いてしまう。もはやさりげない日常の場面を見るだけで涙が滲むようになっていて、それだけ自分の心に入り込んでくるような作品だ。

見返してみると、青山とかサブキャラクター的な立ち位置の人のセリフがどこか棒読みっぽくて気になったのだが、これ、もしかしたら最後の二重構造のところに繋がっているのかも。要はこの場面自体が劇場の中で演じられていることだから、棒読みっぽいんだとしたら面白いな。これは初めて気がついた。伏線的なものがこの演技の下手さにも含まれているのかもしれない。

松岡茉優の演技最高すぎるんだよな。一番好きなシーンは、酒を飲んでいる沙希が家に来た永田と会話するところで、沙希が顎をカクッと鳴らすシーンだ。あの些細な癖みたいなものをさりげなく入れているのは凄いなと思った記憶がある。なんか、作られているものの、作られていないように見える瞬間がめちゃくちゃ好きなのかもしれない。


今日の28時からワールドカップの試合があるということで、「この28時という言い方は分かりやすくていいな。4時と言われると朝の4時なのか分からなくなる」と言ったところ、弟に「だからみんなそうしてんねん」と言われた。
というのも、私は以前この増えていく時間の数え方の方式がイマイチよく分からず、17時と言われてパッと頭の中で午後5時に変換することができないと言ったことがある。
最近はようやくこの方式にも慣れてきた感があるが、以前は本当にパッと分からないし、勘違いしてしまう(例えば、私は17時と言われたら7時を想像してしまうのだ。)リスクがあるからやめて欲しいなどと言っていたのだ。
当たり前にある世界のあり方の良さに改めて気付かされた瞬間だな。


今から28時まで寝て、起きて見てまた寝ます。

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