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「まだ子どもである」2022年1月10日の日記

今日も夜遅くまでフラフラ出歩いていたので、遅めの投稿になります。


成人の日ということで、今年で20歳になった私も成人を確定付けられた。
成人式にいくためにスーツを着る。
私の大学は入学式がコロナの影響で無くなり、スーツを着る機会も無かったので、買って以来初めてスーツを着ることになる。
ネクタイの結び方も知らない、まだまだ子どもである私であるが、時間とは恐ろしいもので、未熟な人間にも成人という烙印を押されて、社会に押し出されてしまう。
弟の高校の制服はネクタイを付けるので、弟にネクタイの結び方を教えてもらいながらなんとかスーツに着替える。
鏡で見る自分の姿はやけに滑稽に見えた。
あまりにも似合っていない、というか、服がきっちりとしている分、だらしない自分が浮き彫りになっているような気がした。
今更になって髪を切っておけば良かったなと多少後悔しつつ、もう遅いので気にしないことにする。どうでも良いのだ。
173センチくらいの身長と細身の体はスーツに似合う。だから、側から見たらよく似合っているのだろう、周りからも似合っていると言われた。もしかしたらお世辞かもしれないが、褒められて特に嬉しい部分でもないから、舞い上がることもない。
スーツというきっちりとした格好でふざけたことをすると、そのギャップもあってより面白くなるな、と気づいたので、家族写真を撮った後、家の前でふざけた写真ばかり撮った。具体的に言うと、三輪車に乗ってバットを担いだ写真だとか、父親の奇行で真っピンクに塗られた車のガレージの前でポーズを撮ったりだとか。

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昼過ぎから成人式の会場に向かう。
誘われていた友人とバスの中で合流し、成人式の会場へ。
多少予想はしていたものの、すごい人で、人混みが苦手な人間が来る場所では無かったなと後悔した。それでも、友人と一緒に来ている手前途中で帰るわけにもいかず、ぐちゃぐちゃになった人の中をかき分けて進む。
進む途中でも、何人か懐かしい顔ぶれがいて、一緒に写真を撮ったり話したりした。けれど、私の心はそんなに動いてないなと思った。思ってしまった。
高校を卒業する時、確かに私は「卒業」に対して寂しさを感じたし、名残惜しさみたいなものも感じたし、普通の人と同じように、嬉しさと悲しさが入り混じったような感情になったはずだった。
けれど、結局のところ私は冷たい人間で、人との関わりに対して無頓着なのだなと今日改めて思った。
中学卒業以来一度も会っていなかった人にも会ったけれど、特に話したいとも思わなかったし、昔話をする気持ちにもならなかった。あ、もう私にとって中学の同級生なんて他人なんだなとそのときに実感した。中学を卒業してその人がどういう人生を歩んできたかなんてまるで興味が無かったし、会話を埋めるために聞こうとも思わなかった。
忘れている顔も多かったし、自分の本質を改めて理解したような気がする。そういう点では来て良かったのかなと思う。もしかしたら、理解しないまま過ごしていた方が良かったのかもしれない。
書いているとあまりに寂しくなってしまうけれど、私はこの事実をちゃんと記録しておこうと思う。また忘れて、そして思い出すにはあまりにも辛い本質であるからだ。

今私は成人式の会場を抜け出して、近くの公園に座ってこれを書いている。近くを軽く散歩して見つけた公園だ。
会場を抜け出して、誰もいない道を歩いているとき、私は確かに開放感を抱いていた。安心したし、落ち着いた気持ちになった。
散歩中に路地裏の写真を一枚撮った。
インスタグラムにその写真を投稿しようかと思ったが、それはあまりにも浅い、明らかな「尖り」な気がして、止めた。

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成人式会場の喧騒がここにまで届いている。公園では、子どもたちがボール遊びをしている。私の知らない遊びだった。もしかしたら、今あの遊びは、全国の子どもたちの間で流行っているのかもしれない。けれど、私はそれを知ることはなく毎日を過ごしている。「大人」として、私は毎日を過ごしている。
あの頃はあの頃で大変だったことを私は知っているから、今更「あの頃に戻りたい」なんて絶対に言わないけれど、まだ私は曖昧な位置から抜け出せていないんだなとは思う。
「子ども」と「大人」の、間の曖昧な位置に私は未だに抜け出せないでいる。

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書いている途中、子どもたちが遊んでいたボールが私の手元にまで転がってきたから、軽く転がして子どもたちに渡してやった。一人の子どもが、私に「ありがとうございます」と言った。子どもたちから見れば私は大人に見えるのだろうか。見えるのだろう。私にとってその子どもたちは「子ども」であるから、子どもたちにとって私は「大人」であるのだろう。
暗い文章にするつもりは全く無かったのだが、書いてあるうちに暗くなってしまった。


一度家に帰って、中学の部活の友人たちとご飯を食べに行った。
メンバーは一昨日の人たちに何人か加えた人たち。
成人式では精神的に結構疲れてしまったのだが、この会は普通に楽しかった。やっぱ仲のいい人たち以外の人と関わるのはしんどいんだろうな。
そのあと、その内の何人かでカラオケに行った。カラオケに行くの自体久しぶりだった。
楽しかったけれど、とても疲れた。
身体を擦り減らして楽しんでいるような気がしたが、たまにはこういうのも良い。
普段はエネルギーを使わないようにばかり生きているから、たまにこういう無茶なことをしたくなる。私にとって旅や無人島に行くのも、蓄積されていくエネルギーを発散するためなのかもしれない。
帰り道、夜の街はやはり好きだなと思った。


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