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アウシュヴィッツの重たい教え

オンラインツアー


最近、「ZOOM」を使っての視聴者参加型講習会が増えている?

映像鑑賞かと思って無料キャンペーンに応募したら、そちら系だった。


題するは「ポーランド ピーススタディツアー」

オンラインでアウシュヴィッツへ行く


ビデオ録画はほんの少し

静止画中心の、ばりばりのオンライン授業で

自分のカメラはOffで臨んだが、用意した軽食はすごく場違いだった。


講師は現地アウシュヴィッツのツアーガイドさんで、とてもきれいな女性。

建物の外部、内部の映像のアングルは良く

実際のツアーでは見せないような場所も収められていた。

参加の規定により、その画像をここでお見せできないのが残念だ。


トイレが日に2回なんて


アウシュヴィッツを巡るのは分かっていたが、迫力は想像を超えていた

収容された人が一斉に使うトイレの中や

死体から髪の毛だけが切り落とされ、二次利用のために集められたもの

どれもリアルで、見たら食欲などなくなるものばかりだった。


10時間もの強制労働をさせられながら、黒パンと肉無しスープの粗末な食事

トイレは1日2回に制限され、数人ずつ仕切りのない部屋で使用する

人間が、そんな生理的抑圧に耐えられるのだろうか

その疑問が強烈に私を捕らえていった。

まさに人が生き物であることを無視された世界だ。



今、このツアーからだいぶ日を置いてこれを書いている。

こんなことを言うのはひんしゅくを買うだろうが

28棟から成る第一収容所には洋式便器があり、

この点はシベリアの捕虜収容所よりはましかもしれない

シベリアは排泄物の槽に板が渡してあるだけで

真っ暗な深夜に利用すると堆積した排泄物が凍っていて

しゃがむと尻を突き刺すことがあったという。

しかし、その便器も第二収容所では全く用意されなくなっていく。


収容施設を急ピッチで増やす


ヨーロッパ中からユダヤ人がポーランドのアウシュヴィッツに送られてくる

被収容者がどんどん増えるので

300棟を有する第二収容所が急ピッチで造られたが

建物も設備も第一収容所に比べ、どんどん劣悪になっていったという

トイレも、汚物の上に板を渡しただけのものになっていく。


夏は37度、冬は零下20度という環境下なので

過労や兵士による拷問死だけではなく

凍死や伝染病などで被収容者は毎日亡くなった。


人の心の輝き


アウシュヴィッツの粗食については、昔読んだ本が心に残っている。

体が弱っている人に、ただでさえ少ない自分の食事から

枕元にパンを置いていってくれる人たちがいたのだという

それは特別に徳の高い神父や修道士というのではなく

町の肉屋さんだったり、ごくごく普通の市井の人たちだったという。


極限の状況下で、こんな人間の姿に遭遇しようとは

人間存在とは何と計り知れないものなのだろう

まさに、暗闇を照らす一筋の光のようではないか


私たちは、実はこうした人たちに支えられて

今日も心穏やかに生きていけているのかもしれない。



アウシュヴィッツツアーに戻ろう。

極刑(死刑)を受けるのは、脱走を図ったときだが

脱走者に終わらず、同室の者までが巻き添えを食う。

そんなたいそうな罪状でなくとも

ドイツ語の命令がよく分からず、反応が遅れたり

落ちていた家畜の餌を食べたというだけの理由で、簡単に命は奪われる

直立不動の刑や、飢餓の刑などの、いたぶった後の死というものもある

ドイツ人兵士はかくも冷酷で残虐だった。


被収容者の選別


しかし、これほどの理不尽を受ける者というのは

労働力として価値ありと、幸運にも初めに選別された人たちだったのだ。


その選別は収容所に着くなり始まった。

貨車にぎゅう詰めにされ、1週間から10日掛けて運ばれてくるのだが

体を横にするすき間もなく、飲料水すら乏しいので

貨車の中ですでに命を落としてしまう人も多くいた。


生きて到着できた人たちは降りるとすぐ男女に分けられ

労働力になりそうな人だけが残された。


子どもと高齢者は貨車から降りるなりシャワー室へと送られる

シャワーを浴びたら食事になると、誘導者に優しい口調で促される

だが、蛇口をひねって出てくるのはチクロンBという毒物だった。


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          アウシュヴィッツ第二収容所


ナチスが殺したユダヤ人の数は600万人ともいわれているが

そのうちの150万人はアウシュヴィッツで亡くなったという。

何という数だろう、私の居住市の、人口の3倍だ。

何という過ちをしたのだろう。


このような人種差別や、虐待や、殺戮があってはいけないと

さすがに、誰しも思うに違いない。

戦争の悲惨な動画を見たらどんな人でも

二度と戦争をしてはならないと神妙な気持ちになるはずだ。


では、なぜ、世界の国々が戦いの準備をするのか

なぜ、差別がなくならないのか。

なぜ、世界の至るところで、アウシュヴィッツのような拘束や

人権侵害や暴力や殺人が起きているのか……。


生還者が伝えたいこと


今回のバーチャルツアーは収容施設を見て終わりではなかった。

最後に今を生きる私たちへの警鐘となる1つの動画が流される。


収容所から生還したMarian Turski氏の、戦後75周年記念スピーチだった。



このような出来事は一日にして起こるのではない

少しずつ、少しずつ人間が疎外され、差別は仕方ないと思わされていき

感性が鈍り、無関心になっていく頃合いに……と、Marian氏は語る。


愛する娘や孫世代の人たちに向け、渾身の思いを傾けて

同じ生還者のプリーモ・レーヴィ氏の言葉を引用する。


「起こったということは、起こり得るということだ」

「起こり得るということは地球上のどこでも起こり得るということである」


最後に、ロマン・ケント氏(生還者)の言葉も紹介する

歴史に関わる嘘を見たとき

法律がねじ曲げられたとき

少数派が差別されたとき

権力が既に存在する社会契約を侵そうとするとき

無関心にならないでください。

「無関心であってはなりません」、Marian氏はこう戒めの言葉で結んだ。


変化への危機感



軽い映像鑑賞を見るつもりが

はからずも、体験者からこのような重たい警鐘を頂くことになった


さて、初めからこんなにシリアスな内容だと知っていたら

果たして私は応募をしただろうか。



仕事が詰まっていた週の土曜日の息抜きに

軽食を食べながら映画を見るような気楽なつもりでいた。

テーマはアウシュヴィッツとは知っていたが

こんな形でツアー参加者となり

悲惨な事実に対峙させられるとは思っていなかった。


そして、このようなツアーに参加したからこそ

この国に漂う不穏な空気にも、のみ込まれそうになっている自分を感じた。


人間は恐ろしい過ちをする

こんなにも残忍になれる

そのことを周囲の人にも伝えていかなければ、と思えてきた。


なぜなら、私たちの社会でも、差別や、戦争を触発するような言葉が

至るところで見られ

人々が流されていく気配を感じるからだ。


終戦記念日の扱いも年々小さくなっていくように


何かが少しずつ変わっていくときこそが大事なのに違いない


今こそ、アウシュヴィッツの重たい教えを、しっかりと胸に刻みたい。

                          2021.11.20

創作の芽に水をやり、光を注ぐ、花を咲かせ、実を育てるまでの日々は楽しいことばかりではありません。読者がたった1人であっても書き続ける強さを学びながら、たった一つの言葉に勇気づけられ、また前を向いて歩き出すのが私たち物書きびとです。